斎藤緑雨さいとうりょくう)” の例文
永代橋えいたいばしを渡って帰って行くのが堪えられぬほどつらく思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨さいとうりょくうの如くほろびてしまいたいような気がした。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その他、投書家でもよいものは作者と同じように、原稿料をとっていたように記憶する。(斎藤緑雨さいとうりょくうなども、この若菜貞爾にひきたてられて、『報知』に入ったものである。)
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
「僕は、本月本日を以て目出たく死去つかまつり候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨さいとうりょくうが一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
斎藤緑雨さいとうりょくう君が何とかいう時代物の小説を『小日本』に連載。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
唖々子は弱冠の頃式亭三馬しきていさんばの作と斎藤緑雨さいとうりょくうの文とを愛読し、他日二家にも劣らざる諷刺家たらんことを期していた人で、他人の文を見てその病弊を指擿してきするにはすこぶみょうを得ていた。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
懸賞小説といへばその以前より毎週『万朝報よろずちょうほう』の募集せし短篇小説に余も二、三度味をしめたる事あり。選者は松居松葉まついしょうよう子なりしともいひまた故人斎藤緑雨さいとうりょくうなりしといふものもありき。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)