撫民ぶみん)” の例文
要するに、この原因は多くの兵を農産や土木や撫民ぶみんに用い過ぎた結果、軍そのものの本質が低下したにちがいない。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、蜀兵が祁山きざんを中心に、広く田を耕し、撫民ぶみんと農産に努めていたのは、自給自足の目的でなくて何でしょう。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれの治績と撫民ぶみんの功は、一朝一夕のものではない。累代るいだい、地方のために、貢献して来たのだ。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて地方政治に徳をいて撫民ぶみんの実を示さねば、国の乱は絶えないであろうということ。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宋江が立てさせた“撫民ぶみん制札せいさつ”が見られ、一部では城壁の消火につとめ、また一隊の泊兵は、罹災民りさいみんを他にまとめて、それには米や衣服やかねを見舞にめぐんでやっている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきに祁山きざん渭南いなんの地方にわたって、大いに撫民ぶみんに努め、屯田自給とんでんじきゅうの長計をたてて、兵糧にはさして困らないほどにはなっているものの、かくてまた、年を越え、また年を越えて
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先天的に、狩猟の武勇を得意とする野性の民で、これの撫民ぶみんは容易ではない。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)