慶永よしなが)” の例文
水戸老公斉昭なりあき側用人そばようにん安島あじま弥次郎に与ふる書に、「何を申も夷狄は迫り居り候へば、勢州は大切の人」と云ひ、福井侯慶永よしながも亦
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
さらば常の心のよごれたるを洗ひ浮世のほかの月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔おおくらたゆう朝臣あそん慶永よしなが元治二年衣更著きさらぎ末のむゆか、館に帰りてしるす
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
尾公慶勝は大将軍慶喜よしのぶのまさに大政を奉還せんとするに際し、時の宰相越前の藩主松平慶永よしながと相議し、幕府と薩長諸藩との間を斡旋あっせんし平和に事を解決せしめんと力めたのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
清心院は糸魚川藩主松平日向守直春のぢよ、福井藩主松平越前守慶永よしながの養女、正弘の後妻謐子しづこで、此夫人には男四人、女七人の子があつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
越前国福井の城主松平越前守慶永よしながは匙医半井なからゐ仲庵をして正弘の病を問はしめ、蘭医方を用ゐしめようとした。福井藩用人中根靱負ゆきえの記にかう云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)