幡豆はず)” の例文
これから遠く離れた愛知県の宝飯ほい額田ぬかた郡、また幡豆はず郡の一部においても、タンポポをマンゴと呼んでいる土地が今でもある。
四極しはつ山、笠縫かさぬい島は参河みかわという説と摂津という説とあるが、今は仮りに契沖以来の、参河国幡豆はず郡磯泊(之波止シハト)説に従って味うこととする。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
また幡豆はず七郷のお味方をも合せて、一路上洛のご用意をととのえるには、少なくも両三日のおとどまりは、まずたしかであろうと思われまする
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私の郷里は正確にいうと愛知県幡豆はず郡横須賀村であるが通称「吉良郷」と呼ばれ、後年この土地に任侠にんきょうの気風が汪然おうぜんとしてぎりたったのも、彼等が尊敬あたわざる領主
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
「無力同然な使者の一行、そうまでせずとも、われらが洛中へ入る日まで、幡豆はずのどこかに牢舎させておけばすもうに」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だいたいに各口均分を本則としたものとみえて、区域が広く年数のかかる場合などは、毎期の完工地を次々に分けて行っていることは、海部かいふ郡や幡豆はずあたりの低地帯でも見られるであろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「そうか。三河の幡豆はず郡は足利党の領所。わしの血縁もおれば、右馬介の生家もある。さては、不知哉丸の身は、そこの生家において、ひそかに養育するつもりとみゆる」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここは三河路みかわじ、一色村とか幡豆はずごうとか、足利党の住む所も、さして遠くないとのこと」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「えっ。では幡豆はず、一色、今川党などの住む所とは、その辺りでしたか」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)