少弐頼尚しょうによりひさ)” の例文
もちろん、足利がたの浜の手、少弐頼尚しょうによりひさの一軍は、すでに駒ヶ林へその先駆せんくを突ッかけて来、直義ただよしの本軍も、西国街道を、驀進ばくしんしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するうちに、序戦、ここの正面へ当って来たのは、少弐頼尚しょうによりひさを主将とする筑紫つくし諸党の兵——つまり浜の手隊の先鋒せんぽうだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして戦いに破れると九州へ逃げ落ちてゆき、直義と仲のよい少弐頼尚しょうによりひさのふところへってしまった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
綾小路あやのこうじの官舎に陣していた少弐頼尚しょうによりひさ壬生みぶ匡遠まさとおの宿所に陣するこう師直もろなお、上杉伊豆、仁木兵部、そのほかの部将も、総力をあげて、敵の宮方を、山上へ追いしりぞけた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細川顕氏あきうじ、上杉重能しげよし、畠山国清などで、それに少弐頼尚しょうによりひさも、陣のさきに立っていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西国の手当にしても、彼は、在京中の少弐頼尚しょうによりひさ宗像大宮司氏範むなかただいぐうじうじのりらをさしむけて、豊前、筑後、肥後の兵をもよおさせていたが、それらの将にたいする尊氏の心づかいなども、内々、じつに細やかだった。