大隅守おおすみのかみ)” の例文
この石川島はほぼ三角形で、東に石川大隅守おおすみのかみの屋敷、西に佃島つくだじまが、それぞれ堀を隔ててあり、北が大川口おおかわぐち、南には海がひろがっていた。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
信長の一族中だけでも、従兄いとこ信成のぶなり、伊賀守仙千代せんちよ、又八郎信時など、いずれも戦死し、織田大隅守おおすみのかみ同苗どうみょう半左衛門なども深傷ふかでを負ってしりぞいたが、後まもなく死んだ。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌文政八年三月みそかには、当時抽斎の住んでいた元柳原町六丁目の家が半焼はんやけになった。この年津軽家には代替だいがわりがあった。寧親が致仕して、大隅守おおすみのかみ信順のぶゆきが封をいだのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
というのは右衛門の母が、何様いう訳合があったか、何様いう身分の女であったのか、今は更に知れぬことであるが、右衛門が赤染を名乗ったのは、赤染大隅守おおすみのかみ時用ときもちの子として育ったからである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かれのことばによれば、かれの叔父にあたる黒川大隅守おおすみのかみも先頃からいなくなっている。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利方の千葉大隅守おおすみのかみだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)