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夢窓
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むそう
ふりがな文庫
“
夢窓
(
むそう
)” の例文
翌朝
(
よくあさ
)
目をさました時にも、夢のことははっきり覚えていた。
淡窓
(
たんそう
)
は
広瀬淡窓
(
ひろせたんそう
)
の気だった。しかし
旭窓
(
きょくそう
)
だの
夢窓
(
むそう
)
だのと云うのは全然
架空
(
かくう
)
の人物らしかった。
子供の病気:一游亭に
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
師の名は
疎石
(
そせき
)
、
夢窓
(
むそう
)
と号して、
寧
(
ねい
)
一
山
(
さん
)
の
会下
(
えか
)
に参じ、
仏国禅師
(
ぶっこくぜんじ
)
の法脈をつぎ、今や、五山第一の
称
(
とな
)
えもあるとか。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「旭窓は
淡窓
(
たんそう
)
の孫でしょう。淡窓の子は何と云いましたかしら?」先生は即座に「
夢窓
(
むそう
)
だろう」と答えた。
子供の病気:一游亭に
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
このさいにおける英断には、
玄以
(
げんい
)
に学んだ
儒学
(
じゅがく
)
も、
大燈
(
だいとう
)
、
夢窓
(
むそう
)
の両禅師からうけた禅の丹心も、その活機を見つけるところもない幾十日の昼の
御座
(
ぎょざ
)
、
夜
(
よる
)
ノ
御殿
(
おとど
)
のおん悩みらしかった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“夢窓(夢窓疎石)”の解説
夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する夢窓疎石の父は近江源氏佐々木朝綱とされる。。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。
(出典:Wikipedia)
夢
常用漢字
小5
部首:⼣
13画
窓
常用漢字
小6
部首:⽳
11画
“夢窓”で始まる語句
夢窓国師
夢窓國師