多武とう)” の例文
桜井から多武とうみねへの路を十数町行ってちょっと右へはいったところである。百済観音もまた近年は法隆寺へ帰って、宝物殿ほうもつでんの王様になっている。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
行手を見れば、多武とうみね初瀬山はつせやま。歴史にも、風流にも、思い出の多い山々が屏風のように囲んでいる。
和州わしゅう多武とうの峰にのぼった折に、この花の多いと思った記憶はあるが、かくも幽邃ゆうすいな光線と深い冷気のうちにちりもとめぬ神秘さをもった花とは違ったように思われた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしが行った時は暑くって弱ったが、今度は花盛りに一度大和巡やまとめぐりをしたいな。初瀬はせから多武とうの峰へ廻って、それから山越しで吉野へ出て、高野山へも登ってみたいよ。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
面を向ければ、多武とうの峰の十三重の塔と同じく、向いたところが満面銭で刻印されてしまう。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
多武とうみねの陰欝な姿を右にながめながら、やがて汽車は方向を変えて、三輪山みわやまふもとへ近づいて行く。古代神話に重大な役目をつとめているこの三輪山はまた特に大和の山らしい。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
多武とうみねの合戦では、山徒の僧兵と戦い、松永氏の勢がたかまるに従って、柳生家も当然、隆昌に向ったが、その弾正久秀が、三好義継と共に、永禄八年の夏、二条御所へ放火して、乱刃のもと
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奈良と郡山の間の佐保川の流域(昔の都)を幾分下に見渡せる小高い畑地である。遠く南の方には三輪山、多武とうみね、吉野連山から金剛山へと続き、薄いかすみのなかに畝傍山うねびやま香久山かぐやまも浮いて見える。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
(いや、多武とうみねで、それらしい落人おちゅうどを見た)
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)