“堀浚”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ほりさら50.0%
ほりざらへ50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
七兵衞はどん/″\駈けてまいり、こゝらで嘔いたろう、と思いましたから、堀浚ほりさらいの泥が山盛りになって居ります所を捜すと塩梅あんばいに有りましたから
梅若七兵衛 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
七「堀浚ほりさらいの土の盛ってあるにいた反吐を掻廻して捜し出しましたから、再び返しにまいりましたので」
梅若七兵衛 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
これは綱宗が家督する三年前で、綱宗も初子も十六歳の時であつた。それから四年目の万治二年三月八日に亀千代が生れた。堀浚ほりざらへの命が伊達家に下つた一年前である。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
これはおほいあやまつてゐる。伊達綱宗は万治まんぢ元年に歿した父忠宗たゞむねあとを継いだ。えて三年二月ついたちに小石川の堀浚ほりざらへを幕府から命ぜられ、三月に仙台から江戸へ出て、工事を起した。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)