呂蒙りょもう)” の例文
呉の大将呂蒙りょもうの手にかかってわが一族妻子も生かされている有様と聞き、関羽は慨然また長嘆、天を仰いだまましばしことばもない。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呂城は呉の呂蒙りょもうの築いたものである。河をはさんで、両岸に二つのやしろがある。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の呂蒙りょもう凌統りょうとうの兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して帰ってきた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこの守りたる関羽将軍には、呉の出先の呂蒙りょもうと事ごとに不和をかもし、平地に波瀾をまねいて、ついにあんな事に立ち到ってしまいました。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところへ、上流陸口りっこうの守備をしていた呂蒙りょもうが急に帰国して来た。時局の急を察し、一大献策のために帰ってきたと彼はいう。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか、汝陽じょよう呂蒙りょもうとか、呉郡の陸遜りくそんとか、瑯琊ろうや徐盛じょせいとか——実に人材雲のごとしで、呉のさかんなことも、故なきではないと思わせられた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甘寧かんねいを先手に、徐盛じょせい丁奉ていほうを中軍に、凌統りょうとう呂蒙りょもうを後陣として、総勢五万、水陸軍に編制し、彼自身は、二万五千をひきいて柴桑を船で出た。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて、周瑜を大都督に任じ、呂蒙りょもうを先手の大将となし、董襲とうしゅう、甘寧を両翼の副将として、呉軍十万は、長江をさかのぼって江夏こうかへおしよせた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに従って、甘寧の手引きした呂蒙りょもうにも、このかどで恩賞があった。以後——横野中郎将おうやちゅうろうしょうととなうべしという沙汰である。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし大兵を連れてきたら、鉄砲を合図に、呂蒙りょもう甘寧かんねいの二軍でふくろ包みにしてしまおう。これが、魯粛の備えておいた、第一段の計であった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呂蒙りょもうだの甘寧などの大将に、「もし関羽が見えたときは、かくかくにして」と、すべての計をととのえていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、呂蒙りょもうの意見を容れて、濡須じゅしゅ安徽省あんきしょう巣湖そうこ長江ちょうこうの中間)の水流の口から一帯にかけて、つつみを築いた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甘寧かんねい呂蒙りょもう太史慈たいしじなどは、くに、要塞の中心部へ突入して、十数ヵ所に火を放っていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)