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呂蒙
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りょもう
ふりがな文庫
“
呂蒙
(
りょもう
)” の例文
呉の大将
呂蒙
(
りょもう
)
の手にかかってわが一族妻子も生かされている有様と聞き、関羽は慨然また長嘆、天を仰いだまましばしことばもない。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呂城は呉の
呂蒙
(
りょもう
)
の築いたものである。河をはさんで、両岸に二つの
祠
(
やしろ
)
がある。
中国怪奇小説集:17 閲微草堂筆記(清)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の
呂蒙
(
りょもう
)
、
凌統
(
りょうとう
)
の兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して帰ってきた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこの守りたる関羽将軍には、呉の出先の
呂蒙
(
りょもう
)
と事ごとに不和を
醸
(
かも
)
し、平地に波瀾をまねいて、ついにあんな事に立ち到ってしまいました。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところへ、上流
陸口
(
りっこう
)
の守備をしていた
呂蒙
(
りょもう
)
が急に帰国して来た。時局の急を察し、一大献策のために帰ってきたと彼はいう。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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そのほか、
汝陽
(
じょよう
)
の
呂蒙
(
りょもう
)
とか、呉郡の
陸遜
(
りくそん
)
とか、
瑯琊
(
ろうや
)
の
徐盛
(
じょせい
)
とか——実に人材雲のごとしで、呉の
旺
(
さかん
)
なことも、故なきではないと思わせられた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甘寧
(
かんねい
)
を先手に、
徐盛
(
じょせい
)
、
丁奉
(
ていほう
)
を中軍に、
凌統
(
りょうとう
)
、
呂蒙
(
りょもう
)
を後陣として、総勢五万、水陸軍に編制し、彼自身は、二万五千をひきいて柴桑を船で出た。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かくて、周瑜を大都督に任じ、
呂蒙
(
りょもう
)
を先手の大将となし、
董襲
(
とうしゅう
)
、甘寧を両翼の副将として、呉軍十万は、長江をさかのぼって
江夏
(
こうか
)
へおしよせた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それに従って、甘寧の手引きした
呂蒙
(
りょもう
)
にも、この
廉
(
かど
)
で恩賞があった。以後——
横野中郎将
(
おうやちゅうろうしょう
)
ととなうべしという沙汰である。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もし大兵を連れてきたら、鉄砲を合図に、
呂蒙
(
りょもう
)
と
甘寧
(
かんねい
)
の二軍でふくろ包みにしてしまおう。これが、魯粛の備えておいた、第一段の計であった。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呂蒙
(
りょもう
)
だの甘寧などの大将に、「もし関羽が見えたときは、かくかくにして」と、すべての計をととのえていた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、
呂蒙
(
りょもう
)
の意見を容れて、
濡須
(
じゅしゅ
)
(
安徽省
(
あんきしょう
)
・
巣湖
(
そうこ
)
と
長江
(
ちょうこう
)
の中間)の水流の口から一帯にかけて、
堤
(
つつみ
)
を築いた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甘寧
(
かんねい
)
、
呂蒙
(
りょもう
)
、
太史慈
(
たいしじ
)
などは、
疾
(
と
)
くに、要塞の中心部へ突入して、十数ヵ所に火を放っていた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呂
常用漢字
中学
部首:⼝
7画
蒙
漢検準1級
部首:⾋
13画
“呂蒙”で始まる語句
呂蒙公