備後国びんごのくに)” の例文
名は信恬しんてん、通称は辞安じあんという。伊沢うじ宗家そうか筑前国ちくぜんのくに福岡ふくおかの城主黒田家くろだけの臣であるが、蘭軒はその分家で、備後国びんごのくに福山の城主阿部伊勢守あべいせのかみ正倫まさともの臣である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ひとり平家に忠誠をみせた備後国びんごのくにぬかの入道西寂さいじゃくが、源氏に心を寄せた河野四郎通清こうののしろうみちきよを討ち取ったばかりに、倅の通信みちのぶから手痛い報復をうけて殺されたという。
柳原奉書やなぎわらほうしょ」で有名な備後国びんごのくに比婆ひば庄原しょうばら町の仕事も、今はその名誉を続け得なくなりました。奉書は楮紙こうぞしでありますが、これに米の粉を加えて抄造しょうぞうします。昔も今も典式の用に使われます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それから周防国すおうのくに宮市に二日いて、室積むろづみを経て、岩国の錦帯橋へ出た。そこを三日捜して、舟で安芸国あきのくに宮島へ渡った。広島に八日いて、備後国びんごのくにに入り、尾の道、ともに十七日、福山に二日いた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)