伴野ともの)” の例文
飯田に、山吹やまぶきに、伴野とものに、阿島あじまに、市田に、座光寺に、その他にも熱心な篤胤の使徒を数えることができる。この谷だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
駒場こまばの医者山田文郁ぶんいく浪合なみあい増田ますだ平八郎に浪合佐源太さげんたなぞの顔も見える。景蔵には親戚しんせきにあたる松尾誠(多勢子たせこの長男)もわざわざ伴野とものからやって来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
文久年代に上京した伊那伴野ともの村の松尾多勢子まつおたせこ、つづいて上京した美濃中津川みのなかつがわ浅見景蔵あさみけいぞう、いずれもまず彼のもとに落ちついて、伊勢屋に草鞋わらじをぬいだ人たちだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
飯田の在の伴野とものという村には、五十歳を迎えてから先師没後の門人に加わり、婦人ながらに勤王の運動に身を投じようとする松尾多勢子まつおたせこのような人も出て来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その日の泊まりと定められた駒場こまばへは、平田派の同志のものが集まった。暮田正香と松尾誠まつおまこと(松尾多勢子たせこの長男)とは伴野とものから。増田平八郎ますだへいはちろう浪合佐源太なみあいさげんたとは浪合から。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)