伊賀守いがのかみ)” の例文
武鑑で大名は壱岐守いきのかみ伊賀守いがのかみ周防守すおうのかみであったものが、ここではすべて正二位しょうにいから従五位じゅごいにいたる廷臣としての序列でならんでいる。
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「菊坂を挟んで小役人、御家人ごけにんの屋敷が二三百あって、西には松平右京亮うきょうのすけ様、南には松平伊賀守いがのかみ様のお下屋敷があります」
荒木又右衛門保和、時に三十七、らい伊賀守いがのかみ金道きんみち厚重あつがさねの一刀、※元はばきもとで一寸長さ二尺七寸という強刀、斬られても撲られても、助かりっこのない代物である。
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「……拙者のいう通りやってごらんなさい。いまここへ安藤伊賀守いがのかみどのの軍勢が攻めて行くでしょう」
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大久保相模守さがみのかみは板倉伊賀守いがのかみ床几しょうぎを並べて、切支丹きりしたんの宗徒の手入ていれを検視していた。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
伊賀守いがのかみとしての武田耕雲斎を主将に、水戸家の元町奉行もとまちぶぎょう田丸稲右衛門を副将に、軍学に精通することにかけては他藩までその名を知られた元小姓頭取もとこしょうとうどり山国兵部やまぐにひょうぶを参謀にする水戸浪士の群れは
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)