亜相あそう)” の例文
その補佐ほさには。顕家あきいえの父、北畠亜相あそう(親房)、結城宗広。——供には、冷泉少将家房、伊達だてノ蔵人行朝、三河前司ぜんじ親朝、そのほか数千の弓箭きゅうせんが、列の先もかすむばかり流れて行った。
僧正の親は、僧正自身がもう七十すぎの老人であるから、ことわるまでもなく、世にはいない人だが、宇治の亜相あそうと人びとから愛称され、皇后宮大夫をも勤めていた宇治大納言隆国たかくにであった。