十左衛門は俯向うつむいたが、すぐに「久世大和守くぜやまとのかみ、——」と口の中で呟き、顔をあげて、問い詰めるようにいた、「久世侯ですか」
寺社奉行の牧野因幡守いなばのかみ英成、久世大和守くぜやまとのかみ。また若年寄板倉伊予守だの、側用人石川近江守の姿も見える。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大目附近藤相模守こんどうさがみのかみをはじめ、久世大和守くぜやまとのかみ、牧野備中守、岩城播磨守いわきはりまのかみ、お側御用そばごよう取次とりつぎ水野出羽守、それに、若年寄の加納遠江守とおとうみのかみ、米倉丹後守、安藤対馬守あんどうつしまのかみ太田若狭守おおたわかさのかみ
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
列座は、井伊掃部守かもんのかみ、酒井雅楽頭うたのかみ、阿部豊後守ぶんごのかみ、稲葉美濃守みののかみ久世大和守くぜやまとのかみ、土屋但馬守たじまのかみの諸侯であった
その後から、第一番に松平越中守えっちゅうのかみ久世大和守くぜやまとのかみ、松平周防守すおうのかみ、牧野備中守びっちゅうのかみ岩城播磨守いわきはりまのかみ、それにお側御用御取次水野出羽守でわのかみの以上六名が、いずれも一人一役のお歴々である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
甲斐はその日の午後七時ごろ、西丸下にある久世大和守くぜやまとのかみ広之ひろゆき)の屋敷へゆき、八十島主計やそしまかずえとなのって、大和守に面会を求めた。取次の者が二人まで替り、玄関でまた中年の侍が応対に出た。
これは帰国したときに話したから、たぶん隼人はやとも記憶しているであろうが、侯はあのときのことを根にもって、久世大和守くぜやまとのかみどのが同席されているにもかかわらず、むきになって私に当りちらされた。