不知しれず)” の例文
「婆さんか赤ん坊が消えてなくなりや不思議だが、若い娘や息子が行方不知しれずになるのを一々不思議がつた日にや、江戸に住んぢや居られないぜ」
怪我の高名と心付かぬ王は武勇なる者まさに絶美の女に配すべしとて、艶色桃花のごとき妙齢の姫君を由緒不知しれずのかの小男の妻に賜ったという。
小舟町三丁目、俗に言う照降町の磯屋の新造でおりんという二十五になる女が二月ほど前に行方不知しれずになった。
一其の方父織江儀御用に付き小梅中屋敷へまかり越し帰宅の途中何者とも不知しれず切害被致候段いたされそろだん不覚悟の至りに被思召おぼしめされ無余儀よぎなくなが御暇おいとま差出候さしだしそうろう上は向後こうご江戸お屋敷は不及申もうすにおよばず御領分迄立廻り申さゞる旨被仰出候事おおせいでられそろこと
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
が、たゞ二人の口から、若の行方不知しれずになつた夕刻、屋敷から外へ出たものは一人もなかつたことだけは確かめました。
「それつきりですが、行方不知しれずになつた、先代の主人與惣六は、その時四十八で、若い時馬の糧葉切かひばきりで切つて、左の人差指が無くなつて居た相ですよ」
「よし、それほど言ふなら行つてやらう。二人一緒に行方不知しれずになるのは、餘つ程深いわけのあることだらう」
肝腎の娘を預けた仁兵衞といふ百姓は、なにか良からぬことを仕出かして、五年前に土地を賣つて行方不知しれず
「大事の/\一人娘が行方不知しれずになつたが、その代りのニセ首を、成敗することも突き出すこともならねエ」
「外ぢや御座いませんが、——行方不知しれずになつた清水さんの掛り人のお夏といふ娘のことを、何うかしたら、浪人者の大井半之助さんが御存じぢやありませんか」
「一年前から行方不知しれずになつて居りましたが、朝田屋が中坂で燒け出されて、坂下の私の家の隣りへ越して來た頃から、チヨイチヨイ姿を見せるやうになりました」
「三年前、御處刑になるばかりのところを繩拔けをして行方不知しれずになつたとは聽いて居りますが」
下手人の銀三は處刑され、白痴ばかの猪之助は行方不知しれずになつて、大分經つた後のことです。
「逢ひませんよ、——彫辰は旅へ出て留守、竹町の彫定は、三日前から行方不知しれずですぜ」
六助はそれつきり行方不知しれず。お夢は一と目千兩と言はれた美しさがくづれ果てて、見る影もない姿を橋の袂にさらし、右や左と物乞ひをして居たのは、それから又三年も後のことでした。
娘のお清は相變らず姿を見せず、寶屋の家の者でも近頃はお清のことなどを心配して居るものはなく、母親のお利榮さへ、行方不知しれずになつた娘のことを、口にも出さないといふ有樣です。
六助はそれっきり行方不知しれず。お夢は一と目千両と言われた美しさが崩れ果てて、見る影もない姿を橋の袂にさらし、右や左と物乞いをして居たのは、それからまた三年も後のことでした。
番頭の扇三郎は、行方不知しれずになり、小僧の八百吉は、親許の八百屋に戻りましたが、間もなく百壽園の忍に話して、親のない子のお道を引取り、行々は——などと世間の氣を揉ませてをります。
「人間が二人やられて、その上清水の息子が行方不知しれずになりましたよ」
今田屋茂左衞門と申しまして、——兩親に亡くなられて、江戸の叔母を頼つて參りましたが、それも行方不知しれずになり、途方に暮れてゐるところを、親方の先代に拾はれて、藝を仕込んでもらひました。
「お清が行方不知しれずになつたが、お前に心當りはないのか」
「永井和泉守樣は二年前に亡くなり、跡取あととりの鐵三郎樣が三年前から行方不知しれずで、今は和泉守の遠い伯父平馬樣といふのが後見格で、主人同樣に振舞つてゐますよ。平馬樣の子の平太郎といふ方が跡目相續するさうで——」
「白梅屋敷の先代——あのお組といふ娘の父親の與惣六は、今から五年前、義理の弟の金兵衞と一緒に、その四谷の親類へお祝事で招ばれて行き、弟の金兵衞はそのまゝ泊り、兄の與惣六は、白山の家へ歸ると言つて出たつきり、行方不知しれずになつてしまつた相だ」