不比等ふひと)” の例文
しかしこれに代って、持統天皇の御代より、藤原鎌足の子不比等ふひとの一族、或は橘三千代たちばなのみちよ、橘諸兄もろえ等の諸勢力が、徐々に宮廷のうちにのびて行った。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
たちばなの三千代夫人という。死後に正一位大夫人をもらった。この才女が藤原不比等ふひとに再嫁して生んだのが安宿媛アスカヒメ。衣の外に光が発するほど美しい娘であった。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
藤皇后とうこうごう光明こうみょう皇后)が聖武天皇に奉られた御歌である。皇后は藤原不比等ふひとの女、神亀元年二月聖武天皇夫人。ついで、天平元年八月皇后とならせたまい、天平宝字四年六月崩御せられた。御年六十。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
蘇我は滅びたが、代って天平のみ代にあらわれたのは藤原不比等ふひとの一族である。大化改新の功労者たる鎌足の息として、彼の漸く勢望を固め得たのは、聖武天皇の時代であった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
エミの押勝おしかつになり、諸兄もろえになり、不比等ふひとになり、鎌足かまたりになり、だんだん昔へさかのぼりすぎて、どうも、私は、何をやつても、過ぎたるは及ばず、といふ自然の結果になつてしまふ。
エミの押勝おしかつになり、諸兄もろえになり、不比等ふひとになり、鎌足かまたりになり、だんだん昔へさかのぼりすぎて、どうも、私は、何をやっても、過ぎたるは及ばず、という自然の結果になってしまう。