下邸しもやしき)” の例文
帰り新参で、昌平黌の塾に入る前には、千駄谷にある藩の下邸しもやしきにいて、その後外桜田の上邸にいたり、増上寺境内の金地院こんじいんにいたりしたが、いつも自炊である。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
といふふうに大川筋は、遊山、氣保養の本花道となり、兩河岸は大名下邸しもやしきの土塀と、いきな住居の手すりと、お茶屋といふ、江戸錦繪、浮世繪氣分横溢となつた。
大川ばた (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
下りかねて約束なれば深川の下屋敷へ到着たうちやくいたしけるに小野田は三年以前に先妻は相果あひはて子供もなく住居も下邸しもやしきの事なれば手廣てひろき暮しに付母娘共大きに安堵あんどして幸之進を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
今日、いけはた下邸しもやしきのちの月見の宴があるが、主水は御前で思いきった乱暴をする決心でいる。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
隠居の政岑は、その年、三十一歳で池の端の下邸しもやしきで死んだ。鈴木主水の書置はどれほどの効果があったか知らないが、一説には、このために半地召上げを許されたともいう。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
横網河岸よこあみがし備前家びぜんさま(今の安田公園の処)のおめかけお花さんが、毎日水門すいもんから屋根船を出して、今戸河岸いまどがし市川権十郎かわさきやの家へいったのでお家騒動が起り、大崎の下邸しもやしきへ移転するといううわさから