一齣ひとこま)” の例文
ファウスト劇の中にメフィストフェレスがファウスト博士に化けて訪問の学生をあしらう一齣ひとこまがあるが、私はあれを思いついたのである。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
ガラツ八の八五郎は、薫風くんぷうに鼻をふくらませて、明神下の平次の家の、庭先から顎を出しました。いとも長閑のどかな晝下りの一齣ひとこま
だがこれでつとめが終ったのではない、良人が帰るまでにはもっと苦しい悲しいことがあるであろう、これはその初めの僅かな一齣ひとこまにすぎないのだ。
日本婦道記:忍緒 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
まず、らくだの死骸を背負いし紙屑屋、高田辺りの質屋を叩き起こして、この死骸を質入れさせよ、しからずんばなにがしかよこせよといたぶるの一齣ひとこまあり。
随筆 寄席囃子 (新字新仮名) / 正岡容(著)
彼等は現実のどの一齣ひとこまにも才に富み、無芸大食の徒輩のやうな重さや危なさがなかつたのです。
女占師の前にて (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
冬の、崖氷柱がけつららの下に、ここへちて死んだ蝦夷萩のことが、はっきり、少年の日の思い出の一齣ひとこまとして、うかんでくる。忘れ得ない彼女の唇の熱さも想う。小次郎は、ぼんやりしていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これではいけないというので、新政府は、更に強硬なる第二の抗議書を送り、且つその抗議書に添えて、風間三千子が撮影した顔子狗の最期さいごを示すフィルムの一齣ひとこまを引伸し写真にして添付てんぷした。
鬼仏洞事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
はしなくも幼友達の名をわが思い出の一齣ひとこまのうちにしるしとどめる折りにった。御輿を担ぐ面々はみな私の竹馬ちくばの友である。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
この一齣ひとこまは無駄であり、ひいて小説全体が小学生の綴り方以上の何物でもないのである。
枯淡の風格を排す (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
珍しく二階にしつらえられた本堂で私は、文楽君と並んで座って、ぼんやり読経を聞いていました。芥川さんの何かの小説に「読経を新内のように聴いていた」という一齣ひとこまがありましたね。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)