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へうかく
本郷
界隈の或禅寺の住職で、名は
禅超と云つたさうである。それがやはり
嫖客となつて、玉屋の
錦木と云ふ
華魁に
馴染んでゐた。
唯、
何時もよりも口数が少くなつて、ややもすると
談柄を失しがちである。そこで津藤は、これを
嫖客のかかりやすい
倦怠だと解釈した。
かの武士、左門が
愛憐の厚きに
泪を流して、かくまで
一九漂客を恵み給ふ。死すとも御心に
報いたてまつらんといふ。左門
諫めて、ちからなきことはな聞え給ひそ。凡そ
二〇疫は日数あり。