“ただしげ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
忠重40.0%
允成20.0%
忠滋20.0%
忠茂20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
さきにも、江戸忠重ただしげを密使として派せられていたが、さらにめいをおびた吉野勅使は、この月、みちのくへ急いで行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
允成ただしげは才子で美丈夫びじょうふであった。安永七年三月さくに十五歳で渋江氏に養われて、当時儲君ちょくんであった、二つの年上の出羽守信明のぶあきらに愛せられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わたくしが富士川游ふじかわゆうさんに借りた津軽家の医官の宿直日記によるに、允成ただしげは天明六年八月十九日に豊島町どおり横町よこちょう鎌倉かまくら横町家主いえぬし伊右衛門店いえもんたなを借りた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
中村五郎忠滋ただしげは、別所家の侍だったが、寄手方の一将、谷大膳たにだいぜんとは以前から多少縁故があったので、対陣のあいだにも、時折、歌など書いて示して来た。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「父の忠滋ただしげと肚をあわせて、わが兵をあざむいた憎い女子おなご、首にして死骸は裏谷へ取り捨てろ」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直参大名とは譜代と同格の意味であって、明くる二年、従五位下の兵部少輔に任じ、同じ四年に立花たちばな左近将監さこんしょうげん忠茂ただしげの妹をめとった。