“ぜんあん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
全安66.7%
禅庵33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
又蘭軒門人渋江抽斎が同じく京水に学んだことは曾て抽斎の事蹟を叙するに当つて言つて置いた。京水は後に一たび榛軒のぢよかえの夫となるべき全安ぜんあんの父である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
棠軒、名は信淳しんじゅん、通称は春安しゅんあん、池田全安ぜんあんが離別せられたのちに、榛軒のじょかえの壻となったのである。かえは後に名をそのとあらためた。おそのさんは現存者で、市谷いちがや富久町とみひさちょうの伊沢めぐむさんのもとにいる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
京水には二人の男子なんしがあった。長を瑞長ずいちょうといって、これが家業をいだ。次を全安ぜんあんといって、伊沢家の女壻になった。榛軒のむすめかえに配せられたのである。後に全安は自立して本郷弓町ゆみちょうに住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
榛軒がしほに生ませたむすめかえは、一時池田京水の次男全安ぜんあんを迎えて夫としていたが、全安が広く内科を究めずに、痘科と科とに偏するというを以て、榛軒が全安を京水のもとに還したそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
との、寺僧のことばに、彼は禅庵ぜんあんの裏へ出て、行水をつかった。そして、命じておいた食事をった。彼の膳には調理された魚鳥の肉が豊富にのっていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉の休んだ禅庵ぜんあん栖賢寺せいけんじであったが、これと並んですこし先に広徳寺こうとくじがある。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)