“あきひろ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
章広25.0%
秋廣25.0%
鑑寛25.0%
顕広25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
又茶山自家の文中「題六如上人手写詩巻首」にも「公子従政于国」と云つてある。わたくしは此に至つて波響が松前若狭守章広あきひろの親戚であることを知つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
甲戌の歳に茶山が再び江戸に来た時には、波響蠣崎将監の宗家の当主松前若狭守章広あきひろが陸奥国伊達郡梁川の城主になつてゐて、波響は章広に従つて梁川に往つてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
よくこそ心掛給ひしといた賞美しやうびなし外々にて才覺致候はんと申ければ隱居は暫く考へ脊負葛籠せおひつゞら一ツ取出し中より猩々緋しやう/″\ひとらかは古渡こわたりのにしき金襴きんらんたん掛茶入かけちやいれ又は秋廣あきひろの短刀五本骨ほんぼねあふぎの三處拵ところごしらへの香箱かうばこ名香めいかう品々しな/″\其外金銀の小道具を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
柳川侯は立花鑑寛あきひろである。士人には小島成斎、岡西玄亭、皆川順庵、今川某、児島某、杉本望雲、岡田徳夫とくふ河添原泉かはぞへげんせん、中耕斎、玉置たまき季吉があり、僧侶には鳳誉、渓巌、綜雲がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
俊成ははじめ顕広あきひろといった。恐らく若い頃一町葉室顕頼はむろあきよりの養子となったためであろう。今見るところでは二十二歳のときの歌が残っている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)