苗字めうじ)” の例文
「何、何んといふことだ。町方役人とは申せ、私も苗字めうじ帶刀を許されて居る身分ですぞ、——伯父が死んで、儲かるとは何事ツ」
苗字めうじが「けら」といふのだとかで蟲のやうな面白い人ですねとお秋さんがいつた男である。此男が來なかつたので何故だか心持がよかつた。
炭焼のむすめ (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
明治めいぢのはじめを御維新ごゐつしんときひまして、あの御維新ごゐつしんときから、どんなお百姓ひやくしやうでも立派りつぱ苗字めうじをつけることにつたさうです。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
後藤とか遠藤などといふやうな字画のごた/\した苗字めうじは細字になるほど難物だと思ひ、ちよつと心は臆したが、もう引つこみがつかなかつた。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
御家人といふのは天滿宮の祭神の家來筋といふことで、昔から苗字めうじ帶刀を許されて、郷士がうしのやうな格になつてゐた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
分與わけあたへし所數月すげつ無實むじつの罪にて入らう致し居し段不便ふびん思召おぼしめされ且つ至孝の者に付苗字めうじ帶刀たいたう差許さしゆるす樣領主へ仰付らる之によつて村役の儀は前々之通り心得べし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ヨーロツパでもハンガリーなどではすなはちマギアールぞく東洋民族とうやうみんぞくであるから、苗字めうじさきにし、あとにする。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
この徳蔵には可笑をかしい話が幾つあつたかわかりません。その中でもいまだに思ひ出すのは苗字めうじの話でございます。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
上杉うえすぎといふ苗字めうじをばいことにして大名だいめう分家ぶんけかせる見得みえぼうのうへなし、下女げじよには奧樣おくさまといはせ、着物きものすそのながいをいて、ようをすればかたがはるといふ
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
番付ばんづけには流石さすがにわがまこと苗字めうじをしるさんことの恥かしくて、假にチエンチイと名告なのりたり。
妾山内氏の生んだ女子には婿養子が出來て、南部家に仕へた。内山善吉と云ふ二百石取がそれである。栗山の名は人に故主の非を思はせるからと云つて、利章がわざと外戚の苗字めうじをかさせた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
苗字めうじは若林つていふんですが、はて名前はなんていふのかなあ……」
嘘をつく日 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
「よろしい。苗字めうじは?」
仔猫の裁判 (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
奈良屋三郎兵衞は五十五六、江戸の大町人で、苗字めうじ帶刀たいたうを許されて居るといふにしては、好々爺かう/\やといふ感じのする仁體でした。
あの人達ひとたちはお前達まへたち祖父おぢいさんのことを『お師匠ししやうさま、お師匠ししやうさま』とんでました。あの人達ひとたち苗字めうじをつけるときのことをいまからおもひますと
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
上杉といふ苗字めうじをば宜いことにして大名の分家とかせる見得ぼうの上なし、下女には奥様といはせ、着物はすそのながいを引いて、用をすれば肩がはるといふ
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
渡世とせいに致居るやと有に主税之助多兵衞は渡り徒士かちげふと仕つり候と言へば所は何處にて苗字めうじは何と申やととはるゝに住所は小柳こやなぎ町一丁目にて切首きりくび多兵衞ととなへ候と申を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
苗字めうじ個人こじんいへで、おほくは土地とちつたものである。たとへば那須の一、熊谷の直實なほざね、秩父の重忠しげたゞ、鎌倉のごんらう、三浦の大介おほすけ、佐野の源左衛門げんざゑもんといふのるゐである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
秤座役人は苗字めうじ帶刀たいたうを許され、僅少きんせうながら幕府の手當を受け、相當の見識も持つて居りますが、斯うなると町方の御用聞にすがる外はありません。
『お師匠ししやうさま、孫子まごこつたはることでございますから、どうかまあ私共わたしどもにもささうな苗字めうじを一つおねがまをします。』
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
わがはい伊東忠太いとうちうたであつて、忠太伊東ちうたいとうではない。苗字めうじとを連接れんせつした伊東忠太いとうちうたといふ一つの固有名こいうめいを二つに切斷せつだんして、これを逆列ぎやくれつするといふ無法むはふなことはないはずである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
聞れ大岡殿ナニ苗字めうじは切首と申かと言れて主税之助ハツト赤面せきめんして是は甚だ惡敷あしき事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
くちよければ仕入しいれあたらしく新田につた苗字めうじそのまゝ暖簾のれんにそめて帳場格子ちやうばがうしにやにさがるあるじの運平うんぺい不惑ふわくといふ四十男しじふをとこあかがほにしてほねたくましきは薄醤油うすじやうゆきすかれひそだちてのせちがらさなめこゝろみぬわたりの旦那だんなかぶとはおぼえざりけり
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「十二そうの近所に、楢井ならゐ山左衞門といふ大名主があるが、苗字めうじ帶刀たいたうまで許された家柄いへがらで、主人の山左衞門は三月ばかり前にポツクリ亡くなつた——」
石川良右衞門は苗字めうじ帶刀たいたうを許された大町人で、五十前後の立派な仁體、これは武家の出だといふことで、進退動作何んとなく節度に叶つて居ります。
從つて漆原家の屋敷といふのは、小大名の下屋敷ほどの宏大なもので、士分ではないにしても、漆原といふ苗字めうじを堂々と名乘つて通る家柄だつたのです。
最近堀留ほりどめ穀物こくもつ問屋で、諸藩のお金御用も勤め苗字めうじ帶刀たいたうまで許されて居る、大川屋孫三郎が、全然新しく建てて寄進することになり、材木まで用意して
「清水和助といふ町一番の大地主で、苗字めうじまで名乘る家のかゝうど、お夏といふ十八になる娘が盜まれましたよ」
能役者くづれと言つても、大藩のお抱へ、苗字めうじまで名乘つて士分に準ずる待遇を受けたには間違ひありません。
相生町二丁目の阿波屋榮之助の家といふのは、雜穀問屋には相違ありませんが、何百年續いた町名主で、何んとかいふ苗字めうじまで許されて居り、竪川に臨んで、一町内を睥睨へいげいする宏大な構へでした。
鈴川主水は、能役者とは言つても、苗字めうじ帶刀たいたうを許され、將軍の御前にまで出られる、立派な士分でした。今は浪々の身であつても、町方の御用聞に、かれこれ言はせないだけの見識はあつたのです。