ひそか)” の例文
旧字:
お登和嬢ひそかに兄の袖をき「そうすると大原さんは二、三日内に御出発なさるようになりましょうか」と今更別るるを本意ほいなく思う。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
しかれどもなほやすんぜず、ひそかに歎じて曰く宮本武蔵は※々ひひを退治せり。洋人の色に飢るや綿羊を犯すものあり。僕いまだくここに到るを得ずと。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
私は嬉しかった。早速此持重説じちょうせつを我物にして了って、之を以て実行にはやる友人等を非難し、そうしてひそかに自ら弁護する料にしていた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
その巻紙は貫一がのこせし筆の跡などにはあらで、いつかは宮の彼に送らんとて、別れし後の思のたけひそか書聯かきつらねたるものなりかし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
折々はその習慣に慣れようと思いましてもいかにも不潔でひそかに自分で茶椀なりあるいは椀なりを洗って喰うような事もあります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
身の潔白を立てる為には、今後何処どこ行逢ゆきあおうとも決して彼女かれとは口を利くまいと、ひそかに決心している矢先へ、あたかのお葉が現われた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
或日それをひそかに持出しコツコツ悪戯して遊んで居たところ、重さは重し力は無し、あやまって如何なる機会はずみにか膝頭を斬りました。
少年時代 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その他なお商家の豪奢ごうしゃを尽したる例甚だ多く、就中なかんずく外妾がいしょうたくわうること商人に最も多くして、手代のやからに至るまでひそかに養わざるものなしという。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
万に一は自分の身にかなうこともあらんかとひとひそかに夢をえがきたることもなきにあらざれども、畢竟ひっきょう痴人の夢にして、迚も生涯に叶うべき事に非ず。
人生の楽事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
孔子は女子と小人とは養い難しといっているが、ひそかに思うに、孔子は閨房けいぼうに於て、あるいはその夫人に大いに苦しめられたものではあるまいか。
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
幕兵とのいくさがあったために、甲府の町に往くこともできなかったが、二三日のうちには、隙を見て妻をおとなおうと心ひそかに喜んでいるところであった。
怪僧 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
健在すこやかなれ、御身等、今若、牛若、生立おいたてよ、とひそかに河野の一門をのろって、主税はたもとから戛然かちりと音する松の葉を投げて、足くその前を通り過ぎた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
又自分はこれ等娼婦の公開——モンマルトルに限らず巴里パリイ全市にわたつて——が子女の教育を妨害する事の多大であるのを想像してひそかに戦慄致します。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
『著者は田舎を愛すれども、都会を捨つる能わず、心ひそかに都会と田舎の間に架する橋梁きょうりょうの其板の一枚たらん事を期す。』
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
保は師範学校の授くる所の学術が、自己のおさめんと欲する所のものと相反しているのを見て、ひそかに退学を企てていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この四五日のざわ/\とした家の様子で、兄妹ともひそかに「父の帰宅」を感づいてゐたのだが、しかし、誰も子供たちにそれを話してくれなかつたのである。
父の帰宅 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
今私が赤い衣物も着ずして三度の食事を無事に喰べて行けるのも皆これがためだと思ってひそかに感謝している。
イエスキリストの友誼 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
この調子なら、先生やっぱり仲むつまじくやっているな。そこで、僕はひそかに、御両人を祝福したことであった。
一人二役 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
才のあるなしよりは自分の信奉するツルゲーネフやドストエフスキーやゴンチャローフの態度と違った行き方をして生活の方便とするを内心ひそか爪弾つまはじきしていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ひめすくいださんため、たゞ一人ひとりにてまゐりしは、ひそか庵室いほりにかくまひおき、後日ごじつをりて、ロミオへおくとゞけん存念ぞんねんしかるにまゐれば、ひめ目覺めざむるすこしき前方まへかた
自然にまかせて作意ということをしなかったから、いつも中軸のところだった。学問なんてものは眼中になかったのである。今でも然うだ。ひそかに一見識と思っている。
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
昨日見かけた編笠の武士が、敵水品陣十郎か否か、それをひそかに確かめようと、上尾宿の旅籠桔梗屋を立って、高萩村へ行こうとして、今来かかった途中なのである。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山下の民に被害の無い程度で上のような大爆発をやってくれぬものかと私はひそかにそれを希望し、さくや姫にも祈願し、一生のうちに一度でもよいからそれが見えれば
左様さよう。いや探偵たんていにしろ、またわたくしひそか警察けいさつからわされた医者いしゃにしろ、どちらだって同様どうようです。』
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
政論社会はひそかにこの論派の激烈なるを危ぶみ、なお第二期における民権論派を視るがごとくせり。
近時政論考 (新字新仮名) / 陸羯南(著)
そこが因果で別れることも出来ないところから、この両人ふたりはそののうちひそかに根岸を脱出ぬけだし、綾瀬川へ身を投げて心中した。死骸が翌朝よくあさ千住大橋際へ漂着いたしました。
この大作品を当時の埃及エジプト王の御覧に供したのち、或る夜ひそかに梯子を持って行って、その鼻の表現を自然の作用であるかのように欠き落したのではあるまいかとも考えられます。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
大風むろ四匝しさふせる石壁を透徹して雷吼らいこうす、駭魄がいはくして耳目きはめて鋭敏となり、昨夜御殿場旅館階上の月をおもひ起し、一人ひそかに戸を排して出で、火孔に吹き飛ばされぬ用心して
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨しょうまして、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心ひそか忸怩じくじたらざるを得ない。
或教授の退職の辞 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
ことに、彼が初めて団十郎の舞台を見た時に、彼は心の中でひそかに江戸の歌舞伎を軽蔑けいべつした。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
然るを隣なる猟師之を怪み、ひそかうかがひ置きて、深夜に彼に先だち行きて待つに、思はず例の者に行逢ひたり。鬼とや思ひけんたまこめて打ちたり。打たれて遁げければ猟師も帰りぬ。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二人して夜ひそかに隣部落へはいり込む。一人が眠つてゐる女の髪を、鉤のついた槍に捲きつける。一人は自分の槍を女の胸につきつける。女は眼をさましても、声を出す事が出来ない。
嫁泥棒譚 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
予が今に理窟を云うの癖があるは此の時代の遺習かと、独りでひそかにおかしく思っとる。学問の上に最も不幸なりし予は、遂に六箇月を出でざるに早く廃学せねばならぬ境遇に陥った。
家庭小言 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
あの時は老師は余程疲れて居られた、会談中は別に気もつかなかったが、後からの容体は大分悪いと予はひそかに心配したほどであった。翌朝信州へ行くといって御出たが、どうかと思うた。
或時決して見ることはならぬといましめて、一間に籠ったのを、母親が怪んでひそかに覗き見ると、たらいの中でお産をして、三疋の竜の子を生んで居たそうである。それから娘はパッタリ来なくなった。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
其後斯道しどうの専門家たる新村出博士の研究によって、現在他には林若樹氏と新村氏との所蔵のみが世に知られて居るということを学んだが、此両大家に伍するを得たことは私のひそかに喜ぶ所であり
春水と三馬 (新字新仮名) / 桑木厳翼(著)
無政府主義者が鉱山のシャフトの排水樋はいすいひを夜ひそかに鋸でゴシゴシ切っておく、水がドンドン坑内にあふれ入って、立坑といわず横坑といわず廃坑といわず知らぬ間に水が廻って、廻り切ったと思うと
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
且つれ仙千代と共に随ひ行きし勝千代が父は、彼の秀吉が覚よき石川伯耆守にして、徳川の家中には、兼ねてより、ひそかに其の二心を疑へる者さへありければ、作左は素より忠侃ちうかん一辺の男なれど
大久保湖州 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
風体ふうていによりて夫々それ/″\の身の上を推測おしはかるに、れいるがごとくなればこゝろはなはいそがはしけれど南無なむ大慈たいじ大悲たいひのこれほどなる消遣なぐさみのありとはおぼえず無縁むえん有縁うえんの物語を作りひとひそかにほゝゑまれたる事にそろ
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
「信綱記」に依れば、伊豆守の家中においても、番所にて「たばこ」を呑むことを堅く禁じたが、或日土蔵番の者がひそか鮑殻ほうかくに火を入れて来て「たばこ」を呑み、番所の畳を少し焦した事がある。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
そういう教育法は人間の個性を殺すものですから母たる者は学校に向って抗議するのが当然ですけれど、ひそかに聡明を以て任じているそれらの新主婦たちは全くこういう事実を等閑に附しております。
婦人改造と高等教育 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
レペルはひそかに其の法を盗んだのだなどと本家を奪いに掛かるもありましょう、中には此の様な法は罪人に姿を変えさするに通ずるのみで詰り犯罪を奨励して国家社会を危くする者だと叫ぶ者も出来
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
自分はひそかに微笑せざるを得なかつた。辯當をつかふのでお秋さんがお茶を汲んで山芋を一皿呉れた。お秋さんは草鞋わらぢをとつた丈で脚袢の儘疊へ膝をついて居る。自分へ茶を出すため態々わざ/\あがつたのだ。
炭焼のむすめ (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ひそかに死ぬ迄の大俗を自分だけでは覚悟して居るのであります。
入庵雑記 (新字旧仮名) / 尾崎放哉(著)
私は或事をたくらんでひそかに夜の更けるのを待つてをりました。
反古 (旧字旧仮名) / 小山内薫(著)
位の自負心は、ひそかはらの底に蓄えている。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
もしや妻君が我身をあの人に世話せんとする心にはあらぬかと気味の悪きように覚えて台所の口に立ったままひそかに座敷の様子を窺う。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
平生わたくし達は心ひそかにこの事を悲しんでいるので、ここに前時代の遺址たる菊塢が廃園の如何を論じようという心にはなろう筈がない。
百花園 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
直行は又その辛し、恨し、悲しとやうの情に堪へざらんとする満枝が顔をば、ひそか金壺眼かなつぼまなこの一角をとろかしつつ眺入ながめいるにぞありける。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
其人それが私に御膳を上げたいからと言ってひそかに招待致しましたからそこに参りますと、私を全くもって英国の国事探偵吏であるというみとめを付けました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)