けむ)” の例文
おかがると、はるのころは、新緑しんりょく夢見ゆめみるようにけむった、たくさんの木立こだちは、いつのまにかきられて、わずかしかのこっていなかった。
風はささやく (新字新仮名) / 小川未明(著)
わたしは、この間の言い合い以来、この男がいささかけむたくなったと同時に、しん底から彼にきつけられるような気持もしていた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
七兵衛は、細々こまごまと申し含めるようなことを言って、与八をけむに捲きながら、以前の裏の戸を押開けて、外の闇に消えてしまいました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
殿村が気狂いの様に、繰返し繰返し頼むので、事情は分らぬながら、けむにまかれてしまって、警官はアタフタと署に帰って行った。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この時は一時間も話した。駄洒落で執達吏をけむに巻く花痩が同席していたから、眉山も元気にはしゃいで少しもシンミリしなかった。
二人とも浴衣ゆかた着更きかへ、前後してけむくさい風呂へ入つた。小池は浴衣の上から帶の代りに、お光の伊達卷だてまきをグル/\卷いてゐた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
葉子の意志はいかに手を延ばしても、もう心の落ち行く深みには届きかねた。頭の中は熱を持って、ただぼーと黄色くけむっていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
検校はばちをとつて一寸威儀をつくろつた。富尾木氏は「さあ」と言つて、白い巻煙草のけむの中で眩しさうに眼を細めてゐたが、暫くすると
正木博士が冗談半分見たようにこう云い出すと、今までけむに捲かれて面喰い気味の一座の人々の顔が一時にサッと緊張味を示した。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
富さんは湯あがりの頭からぽっぽっけむを立てて、その叔父さんという人の胸倉を掴んで、ひどい権幕で何か掛け合いを付けているんです。
半七捕物帳:17 三河万歳 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こんなことくちにする宗助そうすけべつ不足ふそくらしいかほもしてゐなかつた。御米およねをつとはなあなくゞ烟草たばこけむながめるくらゐで、それをいてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
とばかり久米之丞の頭を蹴飛ばし、なおもちりすすけむのように落しましたからさすが白刃を取っては自慢な男も手がつけられず
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『八十吉のけつの穴さ煙管が五本も六本もずぼずぼ這入はひつたどつす。ほして、煙草のけむが口からもうもう出るまで吹いたどつす』
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
つけはしないけれど、……(しょうじょう)よりもっと小さくってけむのようだね。……またここにも一団ひとかたまりになっている。何と言う虫だろう。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その男は、九女八のうちの門口で、顔馴染かおなじみの台助に逢うと、いま聞いてきたばかりの、けむの出るような噂がしたくてたまらなくなったように
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それには、刺すような鋭さはあったが、何の意味で、そのように不可解な言葉を吐くのか、まったくけむに巻くような不可思議なものがあった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
徳次は一種くさめをする前のやうな、けむたげな表情になりながらわき見をしたり、房一を眺めたり、どぎまぎして答へた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
「雷さん、なかなか大したお腕前ですな。『貨幣職能論』などをかつぎ出してけむに巻いたところなんざ、天晴れなお手のうち、見なおしましたよ」
という話で、まるでけむかれた形。私も若井氏の思惑を心配したがこうなってはどうすることも出来ませんでした。
かれこれするうちに昼時分になったが鹿らしいものも来ない、たちまち谷を一つ越えたすぐむこうの山の尾でつつの音がしたと思うと白いけむが見えた。
鹿狩り (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
八の野郎はへそからけむの出るほど煙草を吸って、退屈様の百万遍だ、——俺と八で間に合うことなら、なんでもそう言って来るがいい、とんだ人助けだぜ
それからはこのやま不死ふしやまぶようになつて、そのくすりけむりはいまでもくもなかのぼるといふことであります。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
刻莨きざみの三銭がとこけむよ、今度アくにゃア二つと燐寸まちまで買ってかねえじゃア追付おっつかねえ、これで割前わりめえ勘定だった日にゃア目も当てられねえてえことよ
「ふウむ」と侯爵は葉巻シガーけむよりも淡々あは/\しき鼻挨拶はなあしらひ、心は遠き坑夫より、直ぐ目の前の浜子の後姿にぞ傾くめり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
そのとき和尚さんが門のうちから走り出して、何やらお経を読みながら悪魔の頭を数珠じゆずで打ちますと、悪魔の姿はけむのやうになつて、消えてしまひました。
豆小僧の冒険 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
三平は少しけむに巻かれて、がらにもなくおど/\して居ましたが、だん/\酔いが循って来ると、たんが落ち着き
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と、舟はすぐ楊柳ようりゅうの浅緑の葉のけむって見える水際のすなにじゃりじゃりと音をさした。許宣は水際へ走りおりた。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しばらくのあひだ芋蟲いもむしはなしもしないでたばこけむいてましたが、つひには腕組うでぐみめてふたゝ其口そのくちから煙管きせるはな
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
煙草たばこふかしてけむだして、けむなかからおせんをれば、おせん可愛かあいや二九からぬ。色気いろけほどよくえくぼかすむ。かすえくぼをちょいとつっいて、もしもしそこなおせんさま
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
吸へどもかなし、ばらの花びら、こんな気持ちは心の上だけの遊びで、これもけむりのような懐情の一つ。
恋愛の微醺 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「火をほうり出しなさい。」と船長が言った。「寒くなくなったし、眼にけむを入れてはなりませんから。」
「煙い? なんのどうしてけむぐらゐ、砂漠さばくで風の吹くときは、一分間に四十五以上、馬を跳躍させるんぢや。それを三つも、やすんだら、もう頭まで埋まるんぢや。」
北守将軍と三人兄弟の医者 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りにけむった海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「わかります!」と警部は、探偵小説家の途方もない想像力でけむにまかれながら、合槌あいづちをうった。
省線電車の射撃手 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ハッパが爆発したあと、彼等は、けむが大方出てしまうまで一時間ほど、ほかで待たなければならない。九番坑の途中に、斜坑が上に這い上って七百尺の横坑に通じている。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
どうかすると慶喜の声望は将軍家茂をしのぐものがある。これは江戸幕府から言ってけむたい存在にはちがいない。慶喜排斥の声は一朝一夕に起こって来たことでもないのだ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この港はかつて騎馬きばにて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上けむめてなみもおだやかならず、夜のくらきもたよりあしければ
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
小屋のすぐそとにけむに巻かれて倒れているのをやっと間に合って助けましてございます
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そのうちに、きらきらひかっていたかすみうらがだんだんうすむらさきにけむってきました。
あたまでっかち (新字新仮名) / 下村千秋(著)
いや、実を言うと、君が明らかに僕の正気を疑っているのが少ししゃくだったので、僕一流のやり方で、真面目まじめにちょっとばかりけむに巻いて、君をこっそりらしてやろうと思ったのさ。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
すると、下くちびるのない、おじいさんのけむ出し人形が立ちあがって、このきれいなお花たちにむかって、おじぎをしました。お花たちは、もう、病気らしいようすは、どこにもありません。
鉄漿溝おはぐろどぶあわ立ッたまま凍ッて、大音寺前の温泉のけむは風に狂いながら流れている。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
蹴上けあげから二条を通って鴨川のへりを伝い、伏見へ流れ落ちるのであるが、どこでも一丈ぐらい深さがあり、水が奇麗である。それに両岸に柳が植えられて、夜は蒼いガスの光がけむっている。
身投げ救助業 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
講談ではけむジウと仇名された畸人の老前座松林円盛が伯円種として此を読み、当代の神田五山七世貞山それ/″\この怪盗伝をば手がけると聞くが、此又、五分珠お藤の登場はあるや否や
山の手歳事記 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
けむがつて飛び出して来るところを取押へるといふのが普通の順序なのである。
(新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「あたいん家のちゃんは、あのでかい工場だ、よう——お——いみんな来てみろ——な、けむがまっ黒けに出てやがらあ。へん、あたいん家の父はえれえもんだ、毎日あの工場で働いてらあ……」
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
げにもロンドンのけむにまかれし夫人は、何事によらず洋風を重んじて、家政の整理、子供の教育、皆わが洋のほかにて見もし聞きもせし通りに行わんとあせれど、事おおかたは志とたがいて
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
けむが散ったあとで、見ると、足許あしもとに、猫がたった一つの眼で彼を見据えている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
由はけむいのと、何時ものむしやくしやで、半分泣きながら上つて行つて、戸棚の上からランプを下した。涙や鼻水が後から後から出た。ランプの臺を振つてみると、石油が入つてゐなかつた。
防雪林 (旧字旧仮名) / 小林多喜二(著)
日暮れごろから、木挽こびき町のさる料理屋の大広間で、社の懇親会があった。雨がびしょびしょ降っていた。庭の木立が白くけむっていた。池の岸に白と紫の大輪の杜若かきつばたえんに水々しく咲いていた。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)