湯槽ゆぶね)” の例文
いつかも銭湯で帽子シャッポをかぶり、股引をはいたまま、あわや湯槽ゆぶねへ入ろうとして評判になったし、裸で涼んでいてフイと用事を思い出し
初看板 (新字新仮名) / 正岡容(著)
正午近い銭湯はすいていた。ただ濛々もうもうと湯気のめた湯槽ゆぶねに腰かけて坊主頭の若造と白髪の老人とが、何かしきりに饒舌しゃべりあっている。
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
ドボーンと湯槽ゆぶねの中に湯の飛沫しぶきが立った。さだめし首から先に突ッ込んだのであろう。ぷッ……と濡れ鼠になってわめいたのは旅川周馬。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
風呂場にれば、一箇ひとりの客まづ在りて、燈点ひともさぬ微黯うすくらがり湯槽ゆぶねひたりけるが、何様人のきたるにおどろけるとおぼしく、はなはせはしげに身を起しつ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
疲れていた。ひっそり湯槽ゆぶねにひたっていると、苦痛も、屈辱も、焦躁も、すべて薄ぼんやりかすんでいって、白痴のようにぽかんとするのだ。
火の鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)
北原賢次は板の間の上で、軽石で足のかかとをこすり、小西新蔵は湯槽ゆぶねのふちにぼんのくぼをのせて、いい気持になっている。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
じくじくいたものを、大きな湯槽ゆぶねに溜めて見ると、色だけは非常に奇麗きれいだが、それにだまされてうっかり飛び込もうものならひどい目にう。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
西洋の風呂は、流し場を造って、あの湯槽ゆぶねに湯が一杯張れるようになおしさえすればいいのである。この改良にはさほどの手間はかからない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これは熱海あたみの海岸などによくある竹のかきいめぐらして、湯槽ゆぶねの中から垣ごしに三原山みはらやま噴煙ふんえんが見えようというようなオープンなものではなく
舟形の湯槽ゆぶねに綺麗な透きとほつた湯が満々として居た。私は先づ湯に入れられた。それからその隣の、廊下を仕切つた様な小さな部屋へ導かれた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
などという、いわんやいわに滴るのか、湯槽ゆぶねへ落つるのか、湯気の凝ったのか、湯女歌の相間あいま々々に、ぱちゃんぱちゃんと響きまするにおいてをや。
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やがて湯槽ゆぶねに身を沈めたのか、しーんと静かになった。俺は溜息をついた。居たたまれないような気持で、俺も立って洋服をぬいで、着がえをした。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
細胞同志の距離間隔へだたりもだんだんと遠くなって『あんな処まで俺の身体からだかしら』なぞと、湯槽ゆぶねの中であしゆびを動かしてみる位にまで長大な姿になっている。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
博士は慌てて湯槽ゆぶねから飛び上つた。そして流し場へきちやうめんに坐つて手をついた。その恰好が蛙に生写いきうつしだつた。
一人の体が満足にはからないくらい小さな釜の、周りの鉄の焼けて来るのが東京風のゆっくりとした木製の湯槽ゆぶねに馴れた者には肌ざわりが気味悪く
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
湯槽ゆぶねは小じんまりとしたコンクリートで出来ていて、お湯につかっていながら、スウイッチをひねると、ガチャン、ガタン、ガチャン、ガタン、ゴボン
独房 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
注射が済んで浴室へ行った時、寺田はおやっと思った。淀で見たジャンパーの男が湯槽ゆぶねつかっているではないか。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
その溪流の中へ突き出すやうにして、湯槽ゆぶねがあるらしい。うすぐらいなかに、かすかだが湯の香がする。……
馬車を待つ間 (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
しかし熱海あたみ間歇泉かんけつせんから噴出する熱湯は方尺にも足りない穴から一昼夜わずかに二回しかも毎回数十分出るだけであれだけの温泉宿の湯槽ゆぶねを満たしている事を
丸善と三越 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この一行はよほど多く湯槽ゆぶねにつかるものとみえ、蒲原氏が内湯へ降りてくるたびに顔を合はせるのであつた。
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
晩方早目に銭湯に出掛けて見ると、浴客はただ一人ぎりで湯槽ゆぶねひたっていた。ほどよく沸いた湯がなみなみとたたえられて、淡い蒸気がかげろうを立てている。
「結論はどっちでもいい、そういうことになるんですな、うん」大助は湯槽ゆぶねの中へからだを沈めながら云った
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
据風呂すえぶろを嫁は上手じょうずまたぐなり……川柳子せんりゅうし、うまいことを言ったもので、からだをくの字に曲げた園絵が、スルリせり上がるように湯槽ゆぶねから抜け出て来て、ナニ
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
林で誰か木をっている。カーン、カーンとその音が秋の空気へ響き渡り、湯槽ゆぶねへ落ちる湯の音が、トコトコトコトコと聞こえて来る。山里らしい静けさである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
昨夜はそれほどに思わなかったが、明るいなかでみると、湯槽ゆぶねも古く湯の色もふかく濁っていた。
春深く (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
三月廿八日、午前五時ころ、伊豆湯ケ島温泉湯本館の湯槽ゆぶねにわたしはひとりして浸つてゐた。
湯槽の朝 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
それからお風呂の時桶や湯槽ゆぶねの縁をよく注意して、眼へバイキンなど入れぬよう、呉々お願いいたします。私の心配と云うのも謂わばそのようなことが主なのですから。——
宮下の主人は馳走ちそうぶりに、風呂ふろでも沸かそうから、寒詣かんもうでや山開きの季節の客のために昔から用意してある行者宿の湯槽ゆぶねにも身を浸して、疲れを忘れて行けと言ってくれた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのゝち銭にかしこき人かの池のほとりに混屋ふろやをつくり、かけひを以て水をとるがごとくして地中の火を引き湯槽ゆぶねかまどもやし、又燈火ともしびにもかゆる。池中の水をわかあたひを以てよくせしむ。
そして、「おう、寒ぶ」といって、いきなり、湯槽ゆぶねに飛びこんだ。金五郎一人でも、溢れそうになっていたのに、二人になると、ふちを越して、瀑布のように、湯が流れ出た。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
其の夜も旅僧は湯槽ゆぶねにつかって、気もちよさそうに手拭で肩から胸のあたりを流していた。
風呂供養の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
加寿子たちも一緒にはいるといふので、急に元気づいた貫太は、真つ先にひとりで裸になり、湯加減をみてゐる初瀬の顔へ笑ひかけながら、文句も云はず湯槽ゆぶねへ肩まで沈んだ。
荒天吉日 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
浴室の煙突からは、白い煙が立上り、薪割りをしながら湯槽ゆぶねの金剛と交しているらしい安吉老人の話声が、ボソボソと呟くように続く。おとみ婆さんは、夕餉ゆうげの仕度に忙しい。
闖入者 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
長方形の湯槽ゆぶねの上に石榴口ざくろぐちといって、押入じみた形のものがあって、児雷也じらいやとか、国姓爺こくせんやとか、さまざまの絵が濃い絵具でいてあり、朱塗の二、三寸幅の枠が取ってあって
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
明確の記憶とはいへないけれども湯槽ゆぶねにじやくろ口がかゝつてゐたことを覚えてゐる。
両国界隈 (新字旧仮名) / 木村荘八(著)
その晩は近所の誰彼たれかれさそひあはせて五六人づれで出かけました。夜ふけのことでお湯はもうすき/″\してゐました。おばあさん達はゆつくりと身体からだをのばして湯槽ゆぶねにひたりました。
狐に化された話 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
そして、小さくなって、湯槽ゆぶねの隅へ入った。朧気おぼろげに、四人の男の影が見えていた。
寺坂吉右衛門の逃亡 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
令息は仏語が出来るのであるけれど毎日早くから工場こうぢやうへ出てくので話す機会が無かつた。自分は夫人の親切と共にこの家の清潔なのと湯槽ゆぶねがあつて入浴の自由なのとをうれしいと思つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
天井の隅に、小さい四角なひかりがひとつ、ゆるやうにキラキラと光つてゐた。湯槽ゆぶねの上の明りとりから射し込んだ陽が、反対の壁にかゝつてゐる鏡に当つて、其処に反映してゐるのだつた。
明るく・暗く (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
その日私は湯槽ゆぶねの上にかかっているペンキの風景画を見ながら「温泉のつもりなんだな」という小さい発見をして微笑ほほえまされました。湯は温泉でそのうえ電気浴という仕掛がしてあります。
橡の花 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
新しい白木の湯槽ゆぶねに栓をねじると美しい京都の水がほとばしり出たり、四壁にはめたガラスを透して穏かな春の日影が流れ込んで来たりするので、漱石氏の心はよほど平らかになった模様であった。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あの後、私は専用の雪白せっぱく湯槽ゆぶねの中に長々と仰向きになった私自身であった。船中でも入浴ほど心の安まるものはない。私は湯にひたり、薄紅いかくの石鹸をいつまでも私の両掌りょうての中にもてあそんでいた。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
湯槽ゆぶねに仰向いたエルアフイの胸はまだ魚のやうにあへいでゐた。
亜剌比亜人エルアフイ (新字旧仮名) / 犬養健(著)
「あの地蔵様を嗅いでみると全く湯屋の湯槽ゆぶねの臭いがしたよ」
阿父さんは湯槽ゆぶねに捉まったままもう冷たくなってたのさ。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
湯槽ゆぶねのふちにうなじ
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
湯槽ゆぶねを出でて端ぢかき
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽ゆぶねの側に突伏つっぷしていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
とたんに、さっと浪がひいて、私はただ薄暗い湯槽ゆぶねの隅で、じゃぼじゃぼお湯をきまわして動いている一個の裸形の男に過ぎなくなりました。
トカトントン (新字新仮名) / 太宰治(著)
大きな湯槽ゆぶねが八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)