風呂供養の話ふろくようのはなし
中国山脈といっても、播磨と但馬の国境になった谷あいの地に、世間から忘れられたような僅か十数戸の部落があったが、生業は云うまでもなく炭焼と猟師であった。 それは明治十五六年比の秋のことであった。ある日、一人の旅僧が飄然とやって来て、勘右衛門と …