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夕風
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ゆふかぜ
正面に
待乳山を
見渡す
隅田川には
夕風を
孕んだ
帆かけ船が
頻りに動いて
行く。水の
面の
黄昏れるにつれて
鴎の羽の色が
際立つて白く見える。
がたりと
音して一ゆり
搖れヽば、するり
落かヽる
後ろざしの
金簪を、
令孃は
纎手に
受けとめ
給ふ
途端、
夕風さつと
其袂を
吹きあぐれば、
飜がへる八つ
口ひらひらと
洩れて
散る
物ありけり
而して、
婆さんの
店なりに、お
浦の
身体が
向ふへ
歩行いて、
見る
間に
其が、
谷を
隔てた
山の
絶頂へ——
湧出る
雲と
裏表に、
動かぬ
霞の
懸つた
中へ、
裙袂がはら/\と
夕風に
靡きながら
薄くなる。
然しまた
田圃づたひに歩いて
行く
中水田のところ/″\に
蓮の花の見事に咲き乱れたさまを
眺め
青々した
稲の葉に
夕風のそよぐ
響をきけば、さすがは
宗匠だけに
玉簾の
中もれ
出でたらんばかりの
女の
俤、
顏の
色白きも
衣の
好みも、
紫陽花の
色に
照榮えつ。
蹴込の
敷毛燃立つばかり、ひら/\と
夕風に
徜徉へる
状よ、
何處、いづこ、
夕顏の
宿やおとなふらん。
長吉は
病後の
夕風を
恐れてます/\
歩みを早めたが、
然し
山谷堀から
今戸橋の
向に開ける
隅田川の
景色を見ると、どうしても
暫く
立止らずにはゐられなくなつた。