“どこ”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ドコ
語句割合
何処74.5%
何處9.9%
何所6.3%
何家2.6%
何国1.6%
1.1%
何方0.6%
0.4%
何店0.4%
0.4%
0.2%
何室0.2%
何街0.2%
奈辺0.2%
誰家0.2%
何楼0.1%
0.1%
今頃何処0.1%
何國0.1%
何會社0.1%
何藩0.1%
何辺0.1%
何館0.1%
何點0.1%
0.1%
奈邊0.1%
0.1%
寝床0.1%
所處0.1%
0.1%
那処0.1%
那處0.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それにしてもあんな方角に、あれほどの人家のある場所があるとすれば、一たい何処どこなのであろう。私は少しに落ちぬ気持がする。
『これから大阪までいても、何處どこぞへ泊らんなりまへんよつてな。……大阪からうちへはさみしいよつて、わたへもうようにまへんがな。』
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
のみならず、道徳の敗退はいたいも一所にてゐる。日本国中何所どこを見渡したつて、かゞやいてる断面だんめんは一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
私生児かくしごを抱えて、男から棄てられた彼女は、今さら誰に歎願してみようもなかった。何家どこの戸口を叩こうという当てもなかった。
小さきもの (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
おや! こいつあ何国どこの人間だろう? お国者くにものかな? 一つ探りを入れてやれ、と言ったくらいの外交的言辞に過ぎないのだ。
ほかに身寄親類もないから駈出してもどこがない私ゆえこらえてはいましたが、今日という今日は真に辛いから私は駈出して、身を投げて死にますよ
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無つれなく云ひ捨てゝ障子ぴつしやり、後は何方どこやらの樹頭に啼くひよの声ばかりして音もなく響きもなし。
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
新「間違えるどこじゃない、お母さんの方でさい違わなけりゃア、此方こっちで約をたがえる気遣いは無いのだから」
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
門の下で、うしろを振返って見た時は、何店どこへか寄ったか、わきれたか。仲見世の人通りは雨のおぼろに、ちらほらとより無かったのに、女の姿は見えなかった。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ことにボーイ長のは二層どこの下部に当たり、光の方を背にしていたので、最も暗かった。藤原は、自分の床から蝋燭ろうそくをとって、ボーイ長のまくらもとに立てた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
ぐうづらつるつこいて打棄うつちやつて、いや本當ほんたうでがす、わしやちくなんざあいふなきれえでがすから、どこぢやがあせんお内儀かみさん、よるつて
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
アア、あの風吹烏かざふきがらすから聞いておいでなさったかい。うござる、いつまででもおいでなさい。何室どこでも明いている部屋に勝手に陣取らっしゃい、その代り雨は少しるかも知れんよ。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
人あり、来つて盛岡の街々を彷徨さまよふこと半日ならば、必ず何街どこかの理髪床りはつどこの前に、銀杏髷いちやうまげに結つた丸顔の十七八が立つて居て、そして、中なる剃手そりてと次の如き会話を交ふるを聞くであらう。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そして、心の底の奈辺どこかでは、信吾がモウ清子の事を深く心にとめても居ないらしい口吻くちぶりを、何となく不満足に感じられる。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
弟の暇な時には一緒に海へ行つて遊んだり、誰家どこといふことなしに通りすがりに若い者などの集つて居る家へ入つて、何時も同じ様な漁業の手柄話や女の話などを聞いて時間を過した。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
ひっくるめてや、こっちも一挺なくなって、廓内くるわうちじゃあきっと何楼どこかで一挺だけ多くなる勘定だね。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
串戯じょうだんじゃあねえ、どの道何かうらみのある遊女おいらんの幽霊とは思ったけれど、何楼どこの何だかつかまえどこのねえ内はまだしも気休め。そう日が合って剃刀があって、当りがついちゃあかなわねえ。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
どこの上に、再白々と横つて見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きてゐる。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
かひなが動き出した。片手は、まつくらなくうをさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩どこの上を掻き捜つて居る。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「お前は、今頃何処どこへ行くのだ」とたずねると、女房は、「急に用事が出来たから、△村まで行って来ます」と答えたが、そば同伴つれの男が、見詰みつめていると、女はそういいながら、眼を異様に光らして
月夜峠 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
うりたることがあるその脇差は爾ぢのしなか又は何國どこからもつて來たか明白めいはくに申立よと云れ彌十はすこ口籠くちごもりしがイヱ此脇差は私しの家に持傳もちつたへし重代ぢうだいの品なりと云に役人コレ彌十なんぢが重代の品などは不屆き至極しごくなり夫しばれと下知げぢしければ手先てさきの者立懸たちかゝ忽然たちまち高手たかて小手こてしばり上るに彌十はおそれしていにて何を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この中坂を冠する思案外史は中坂の何辺どこらあたりに住んでる人だろうと揣摩しまし、この思案外史の巻頭の辞を載せた『我楽多文庫』をもやはり中坂に縁があるように思っていた。
そして早くも、この席が終ったら、こよいは何館どこの池殿へ寄って酒を飲もうか、管絃して遊ぼうか、そんな事にもう思いのせわしない顔つきも沢山に見えるのであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
周三はまた、「何點どこか俺の生母せいぼに似たとこがある。」と思ツた。で何となく懐慕なつかしいやうにも思はれ、また其のさびしい末路まつろあはれになツて
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
御承知の通、小諸は養蚕どこですから、寺の坊さんまでが衣の袖をまくりまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
見えざる光となつて、今猶、或は、世界の奈邊どこかにさまようて居るかも知れぬ。
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
『そだつてお前、過般こねえだも下田の千太おやぢどこで、巡査に踏込ふんごまれて四人許よつたりばか捕縛おせえられた風だし、俺アほん心配しんぺえで……』
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
部屋には、仕事用の長板やら、しころの糸掛け、草摺くさずり掛けなどを置き、染革の切れッぱしだの膠鍋にかわなべが、ざつぜんと、散らかっている。ときには、万年寝床どこも敷きっぱなしだ。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
所處どこへでもかまやしないわ——』とあいちやんがひました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
『瀬がはやえだでなア! これやハア先生どこ小供わらしだナ。』
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
先づ世間の眼からは賢夫人とも呼ばるべき令閨さいくんとの間は、世間の眼には如何でもなく、むし世間体せけんていは至極平和な家庭であるが、此の令閨が理想に勝つてゐる丈け其れ丈け那処どこか情愛が欠けてゐるので
未亡人と人道問題 (新字旧仮名) / 二葉亭四迷(著)
凡そ是の如きの情状を做し得てこそ、人も聊かほかの動物の上に立ち得るのであれ、なくば那處どこに人の動物たらざるところを見んやである。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)