鳥羽殿とばでん)” の例文
それにせよ幕府の“遷幸定目せんこうじょうもく”の規定には、鳥羽殿とばでんまではともかく、それより先は「道中、格別ならざる輿の事」という指示になっている。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くれば治承四年、淨海じようかい暴虐ばうぎやくは猶ほまず、殿でんとは名のみ、蜘手くもで結びこめぬばかりの鳥羽殿とばでんには、去年こぞより法皇を押籠おしこめ奉るさへあるに、明君めいくんの聞え高き主上しゆじやうをば、何のつゝがもおさぬに
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そして味方の細川定禅、赤松円心則村のりむらの二将と、鳥羽殿とばでんの門外で落ちあった。つまり東西両軍の連絡を遂げたのだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『ではなぜ、昇殿など、ゆるし召されたか。おれは、上皇に、伺ってみたい。鳥羽殿とばでんのおんまくらにもかよえよかし、おれは、ここから怒鳴るぞ。怒鳴ってやる』