関平かんぺい)” の例文
関羽は、嘆服して、退くと、養子の関平かんぺい、腹心の周倉などを伴って、手勢五百余騎をひきい、まっしぐらに華容道へ馳せ向った。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先陣は廖化りょうか。その副将には関平かんぺい。——参謀として馬良、伊籍いせき。——留守の大将には誰々をと、その場で、各隊の部将や所属も任命された。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
巴丘はきゅうという所まで来ると、彼方に荊州の一軍が江頭の道を切りふさいだという。物見を放ってうかがわせると、関羽の養子関平かんぺい劉封りゅうほうの二将が
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
龐統を軍中の相談役とし、関平かんぺい劉封りゅうほうも中軍にとどめ、黄忠と魏延とは、一を先鋒に、一を後備に分け、遠征軍の総数は精鋭五万とかぞえられた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、関平かんぺい劉封りゅうほうとは各五百人を率して、硫黄いおう焔硝えんしょうをたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関平かんぺい劉封りゅうほうの二人は、席を抜けて、外にいた三百余の関門兵を、遠くへ引退がらせてしまった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして関平かんぺいを荊州へ急がせ、一刻もはやく蜀に来れ、と孔明にあてた書簡を持たせてやった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、またここへ、趙雲ちょううん関平かんぺい劉封りゅうほうなどの諸将も各〻の兵をまとめて集まった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄は関寧かんねいといって、儒学に長じ、弟のほうは関平かんぺいとて、武芸に熱心な若者だった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
養子の関平かんぺいや、部下周倉しゅうそうをしたがえ、三百余騎で馳せ降ってきた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)