開闔かいこう)” の例文
永享元年四十三歳の年、八月二十五日、後花園天皇の勅によって、撰集の御沙汰ごさたが下った。尭孝は和歌所の開闔かいこう、撰者は飛鳥井雅世まさよであった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
開闔かいこう いにしえより有り。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
仰せをこうむったのは和歌所の寄人たちであり、事務には和歌所の開闔かいこう家長が何かとあずかっているから、和歌所の設立は撰集事業の前ぶれであったといえなくもない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
和歌所開闔かいこう源家長が清書して奥書おくがきを記して世につたえたものであって、十二月二十六日の奥書の意を取ると、この決定本以前の『新古今集』は、いずれもひがごとの存する本であり
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)