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鍬形蕙斎
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くわがたけいさい
ふりがな文庫
“
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)” の例文
浮世絵は
寛政
(
かんせい
)
文化
(
ぶんか
)
の盛時を過ぎ、
文政
(
ぶんせい
)
に
入
(
い
)
りて改元の翌年
先
(
ま
)
づ
春章
(
しゅんしょう
)
の後継者たる
勝川春英
(
かつかわしゅんえい
)
を失ひ、続いて漫画略筆の名手
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)
(文政七年歿)を
逝
(
ゆ
)
かしめ
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)
や
上田公長
(
うえだこうちょう
)
の略画の版本など吾々は児供の
玩弄
(
がんろう
)
品と思っていたくらいであるに、ここの趣向が面白い、ここがうまいなどとしきりと面白がっていた、ある時などは
竹乃里人
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
たまたま
卍
(
まんじ
)
つなぎとか
巴
(
ともえ
)
とかの幾何学的模様があるけれどそれらは皆支那から来たのである。近頃
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)
の略画を見るにその幾何学的の直線を利用した者がいくらもある。
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)
や山田芳洲のような画家も住んでいた。撃剣家では俗にお玉ヶ池の先生という千葉周作の道場もあった。それらの人達の名によって、お玉ヶ池の名は江戸時代にいよいよ広く知られていた。
半七捕物帳:36 冬の金魚
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
いずれも
市井
(
しせい
)
の特色を
描出
(
えがきいだ
)
して興趣
津々
(
しん/\
)
たるが中に
鍬形蕙斎
(
くわがたけいさい
)
が祭礼の図に、
若衆
(
わかいしゅ
)
大勢
(
たいぜい
)
夕立にあいて
花車
(
だし
)
を路頭に捨て見物の男女もろともに狼狽疾走するさまを描きたるもの
夕立
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“鍬形蕙斎(
北尾政美
)”の解説
北尾 政美(きたお まさよし、明和元年〈1764年〉 - 文政7年3月22日〈1824年4月21日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。鍬形蕙斎(くわがた けいさい)の名でも知られる。当時は「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉があるほど評価された絵師である。
(出典:Wikipedia)
鍬
漢検準1級
部首:⾦
17画
形
常用漢字
小2
部首:⼺
7画
蕙
部首:⾋
15画
斎
常用漢字
中学
部首:⽂
11画
“鍬形”で始まる語句
鍬形
鍬形台
鍬形打
鍬形草
鍬形惣助