鍬形蕙斎くわがたけいさい)” の例文
浮世絵は寛政かんせい文化ぶんかの盛時を過ぎ、文政ぶんせいりて改元の翌年春章しゅんしょうの後継者たる勝川春英かつかわしゅんえいを失ひ、続いて漫画略筆の名手鍬形蕙斎くわがたけいさい(文政七年歿)をかしめ
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鍬形蕙斎くわがたけいさい上田公長うえだこうちょうの略画の版本など吾々は児供の玩弄がんろう品と思っていたくらいであるに、ここの趣向が面白い、ここがうまいなどとしきりと面白がっていた、ある時などは
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
たまたままんじつなぎとかともえとかの幾何学的模様があるけれどそれらは皆支那から来たのである。近頃鍬形蕙斎くわがたけいさいの略画を見るにその幾何学的の直線を利用した者がいくらもある。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
鍬形蕙斎くわがたけいさいや山田芳洲のような画家も住んでいた。撃剣家では俗にお玉ヶ池の先生という千葉周作の道場もあった。それらの人達の名によって、お玉ヶ池の名は江戸時代にいよいよ広く知られていた。
半七捕物帳:36 冬の金魚 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いずれも市井しせいの特色を描出えがきいだして興趣津々しん/\たるが中に鍬形蕙斎くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆わかいしゅ大勢たいぜい夕立にあいて花車だしを路頭に捨て見物の男女もろともに狼狽疾走するさまを描きたるもの
夕立 (新字新仮名) / 永井荷風(著)