錦織にしごり)” の例文
山本、柏木、錦織にしごりなどという手強い源氏の兵と戦を交えたが何れも討ち破って攻め落し、そのまま軍は美濃、尾張を越えて進んだ。
すぐ馬の用意をさせ、正成は藤房の泊っている錦織にしごりの坊へ向った。——朝焼け雲のさやかに紅い朝だった。藤房もゆうべは眠られずにいたことだろう。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
館から庭へ飛び下りて行く、錦織にしごり判官代や赤松則祐のりすけや、川越播磨守や平賀三郎などの、颯爽さっそうとした姿が見えた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大和やまとには宇野七郎親治うののしちろうちかはるの子の太郎有治たろうありはる、次郎清治きよはる、三郎成治なりはる、四郎義治よしはる。またさらに近江には山本、柏木、錦織にしごり
錦織にしごりの判官代が、すずし一枚の若い白拍子を、横抱きにして躍り出したとたんに、瓶子へいしが仆れて土器かわらけを割った。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……その河内においても、内々とくに頼みとおぼされておる武門は三家しかない。——一は水分みくまりの楠木、二は錦織にしごり判官代ほうがんだい、三は御当家ぞ。わけてここ石川ノ郷はかなめの地だ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらには、おなじような土豪的勢力をこの河内の山野にもっている錦部郷の錦織にしごり判官代ほうがんだい、また金剛山のふもと赤坂の水分みくまりに住む楠木正成といえ、その意味ではみな、相似たる
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらくこの公示は、各地に建てられたものだろうが、朝夕、金剛山をすぐ目の前にしている河内石川、錦織にしごり、三日市あたりの住民には、いちばい生々しい実感が持たれたにちがいない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たそがれ前に、錦織にしごりの金剛寺の別坊にたどりつき
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おぼえておけ。錦織にしごりノ判官代俊正とはわれぞ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)