讒奏ざんそう)” の例文
将門の方は和解の事画餅ぐわへいに属して、おもしろくも無く石井に帰つたが、三月九日の経基の讒奏ざんそうは、自分に取つて一方ひとかたならぬ運命の転換をもたらして居るとも知るよし無くて居た。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
菅公が筑紫の配所でこうじたのは延喜三年二月二十五日であるが、同六年の七月二日には、時平と共に菅公讒奏ざんそうの謀議に加わった右大将大納言定国が四十一歳を以てしゅっし、同八年十月七日には
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)