解文げもん)” の例文
また承和二年陸奥国司の「解文げもん」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を玩味するに、『常陸風土記』の記事等と相啓発して、有史以後においても
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
将門背走相防ぐあたはざるの間、良兼の為に人物を殺損奪掠さつそんだつりやくせらるゝのよしは、つぶさに下総国の解文げもんに注し、官に言上ごんじやうしぬ、こゝに朝家諸国にせいを合して良兼等を追捕す可きの官符を下されをはんぬ。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
将門も謀反とあつては驚いたことであらうが、たとひ驕倣けうがうにせよ実際まだ謀反をしたのでは無いから、常陸下総下毛武蔵上毛五箇国の解文げもんを取つて、謀反の事の無実の由を、五月二日を以て申出た。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)