荷田春満かだのあずままろ)” の例文
賀茂真淵かものまぶち荷田春満かだのあずままろの説にり、「皇」の下に「女」を補って、「中皇女命なかつひめみこのみこと」とみ、舒明天皇の皇女で、のち、孝徳天皇の后に立ちたもうた間人はしびと皇后だとし
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
荷田春満かだのあずままろあたりを先駆とする国学たりとも、言わば外来の刺激を受けて発展したにほかならない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それに反して、若い国学者であり詩人でもある荷田春満かだのあずままろは、耳を仄紅くして、時勢を慨している。それは単なる学究の感傷ではなかった。はらわたから出る力を相手に感じさせずにはかないものであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれにしても、はんの木ならば、「にほふはりはら」という気持ではない。この「にほふ」につき、必ずしも花でなくともいいという説は既に荷田春満かだのあずままろが云っている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
新しいやしろを建てる。荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵かものまぶち、本居宣長、平田篤胤、この国学四大人の御霊代みたましろを置く。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一代の先駆、荷田春満かだのあずままろをはじめ、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤、それらの諸大人が受け継ぎ受け継ぎして来た一大反抗の精神はそこから生まれて来ているということであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵かものまぶち本居宣長もとおりのりなが、平田篤胤、それらの国学四大人の御霊代みたましろを安置する空前の勧請遷宮式かんじょうせんぐうしきが山吹村の条山じょうざんで行なわれることになって、すでにその日取りまで定まったからで。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)