脇坂甚内わきざかじんない)” の例文
と、そのとき、羽柴はしば荒旗本あらはたもと脇坂甚内わきざかじんない平野ひらの三十郎、加藤虎之助かとうとらのすけの三人、バラバラと幕屋まくやすそにあらわれて一大事を報告した。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小姓の脇坂甚内わきざかじんない片桐助作かたぎりすけさく石田佐吉いしださきちなど。また侍たちも各〻の幕囲いから飛び出して来て、秀吉のそぞろ歩きに従った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その下に平野権平ひらのごんぺいだの、片桐助作かたぎりすけさくだの、加藤孫六、脇坂甚内わきざかじんない糟屋かすや助右衛門などという大供小供が、非番でさえあれば、ひとつ池のかわずみたいにがやがやさわいでいた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平野ひらの三十郎ひとりだけが立ってゆく。と、脇坂甚内わきざかじんないすぐに小膝こひざをゆるがして
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつての加藤於虎おとら、福島於市おいち脇坂甚内わきざかじんない、片桐助作すけさく、平野権平ごんぺい、大谷平馬へいま、石田佐吉などのいわゆる子飼こがいの子どもたちも、いまはことごとく二十四、五から三十近い若者となり、殊にしずたけこのかたは
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)