羽咋はくい)” の例文
北方、七尾城との連絡を断つためには、羽咋はくい川と末森城との中間地帯——出浜ではま敷浪しきなみあたりに、一線を布陣して、海上をも監視させた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽咋はくい川をもって海と通う千路潟せんじのがた、福野干瓢かんぴょうの産地たる福野潟のごとき、いずれも西南の寄砂のために澗の口がだんだんにつぶれた例である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
石川県羽咋はくい郡富永村では、死者を納棺する際に藁縄、或いは白布を以て屍体を緊縛した。これを極楽縄と称し老人は自分でこしらえて置いたとある。
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
次にイトシワケの王は、子がありませんでしたので、子の代りとして伊登志部を定めました。次にイハツクワケの王は羽咋はくいの君・三尾の君の祖先です。
また羽咋はくい郡の末吉すえよしという村でも、水を惜しんで大師に与えなかったために、今に良い清水を得ることが出来ぬといっていますが、その近くの志加浦上野しがうらうえのという部落では親切にしたので
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
能登羽咋はくい郡福浦村
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)