義尚よしひさ)” の例文
六年後、宗全と勝元相次いでしゆつし、義政もまた職を義尚よしひさに譲つたが、両軍は、尚ほ相対峙して、容易に戈を納めなかつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
この兼良が晩年に将軍義尚よしひさのために書いた『文明一統記』や『樵談治要しょうだんちよう』などは、相当に広く流布して、一般に武士の間で読まれたもののように思われるが
足利七代の将軍義尚よしひさの時まで世を茶にしておいでなされた一休が、杉葉たてたる又六またろくかどと仰せられたも酒屋で、杉の葉を丸めて出してある看板だそうにございます。
此の『樵談治要』は応仁の乱後、彼が将軍義尚よしひさに治国の要道を説いたものから成って居るのであるから、先ず当時に於ける悲惨な知識階級の代表的な意見であろう。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)