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義尚
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よしひさ
ふりがな文庫
“
義尚
(
よしひさ
)” の例文
六年後、宗全と勝元相次いで
卒
(
しゆつ
)
し、義政もまた職を
義尚
(
よしひさ
)
に譲つたが、両軍は、尚ほ相対峙して、容易に戈を納めなかつた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
この兼良が晩年に将軍
義尚
(
よしひさ
)
のために書いた『文明一統記』や『
樵談治要
(
しょうだんちよう
)
』などは、相当に広く流布して、一般に武士の間で読まれたもののように思われるが
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
足利七代の将軍
義尚
(
よしひさ
)
の時まで世を茶にしてお
在
(
いで
)
なされた一休が、杉葉たてたる
又六
(
またろく
)
の
門
(
かど
)
と仰せられたも酒屋で、杉の葉を丸めて出してある看板だそうにございます。
根岸お行の松 因果塚の由来
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
此の『樵談治要』は応仁の乱後、彼が将軍
義尚
(
よしひさ
)
に治国の要道を説いたものから成って居るのであるから、先ず当時に於ける悲惨な知識階級の代表的な意見であろう。
応仁の乱
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
“義尚(足利義尚)”の解説
足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町幕府の第9代征夷大将軍(在職:文明5年(1473年) - 長享3年 (1489年))。
『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、後年、義凞(あるいは義煕)(よしひろ)と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の諱で知られる。
応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職をめぐる対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。
(出典:Wikipedia)
義
常用漢字
小5
部首:⽺
13画
尚
常用漢字
中学
部首:⼩
8画
“義”で始まる語句
義
義兄
義理
義姉
義弟
義務
義父
義太夫
義母
義経