“よしひさ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義尚57.1%
慶久14.3%
義久14.3%
能久14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
この兼良が晩年に将軍義尚よしひさのために書いた『文明一統記』や『樵談治要しょうだんちよう』などは、相当に広く流布して、一般に武士の間で読まれたもののように思われるが
私は、二日の後にそれを承諾した。そうして、ヨーロッパの戦地に行くことになった。一行は、徳川慶久よしひさ公爵と赤十字の医師と合計八人であった。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
天正十二年には、秀吉は統一の功を急ぐために徳川家康と同盟し、一方では長曾我部元親もとちかを降して四国を平げ、上杉景勝かげかつと和して北国を定め、島津義久よしひさを討つて九州を従へた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
一条河原御殿にうつらせ給ふ。親王宣下しんわうせんげありて能久よしひさ名告なのらせ給ふ。法諱公現。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)