置毒ちどく)” の例文
そしてこの公生涯の裏面に、綱宗の気遣きづかふも無理ならぬ、暗黒なる事情が埋伏してゐた。それは前後二回に行はれた置毒ちどく事件である。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その式日に「置毒ちどくされる」ということは二度、三度と耳にはいっている。初めてではない、これまでにもそういううわさの立ったことはある。
然るに井伊掃部頭直弼かもんのかみなほすけは早くより開国の意見を持せられ、正弘の措置はかばかしからざるを慨し、侍医伊沢良安をして置毒ちどくせしめられ候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
置毒ちどくが行われたときは、かねてうちあわせたことがあるので、自分(鳥羽)はすぐ原田どのに連絡をしたかったが、全家中に禁足の布令が出て、小者下郎までが外出をとめられたため
闇討ち、置毒ちどく——、幾十人となく血をながしたおれてゆくさまを、ただ主家大切という一義のために耐え忍んでまいったのです、しかしそのかいもなく、老中御評定ということになりました
置毒ちどくのこともですか」と新左衛門が云った。