終末おわり)” の例文
◯ヤコブ書第五章十一節にいわく「なんじらかつてヨブの忍びを聞けり、主いかに彼にし給いしかその終末おわりを見よ、すなわち主は慈悲深くかつ矜恤あわれみある者なり」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
如何なる威権ぞ、彼は大工の子に非ずや、而かも彼は世の終末おわりに於ける全人類の裁判人を以て自から任じ給うのである、狂か神か、狂なる能わず故に神である、帝王も貴族も
彼の再臨を聞いて嘲ける人等は彼の此言辞を説明する事が出来ない、主イエスは単に来世を説き給う者ではない、彼れ御自身が来世の開始者である、彼はただ終末おわりの審判を伝え給う者ではない
「我等主の懼るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言うて居る(哥林多後五の十一)、「おそるべき」とは此場合に於ては確かに終末おわりの審判の懼るべきを指して言うたのである(十節を見よ)