粕谷かすや)” の例文
武蔵野の彼等が斗満をうた其年の冬、関翁は最後の出京して、翌明治四十四年の四月斗満に帰った。出京中に二度粕谷かすや茅廬ぼうろに遊びに来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ある時書肆ほんやが徳富蘆花氏の原稿を貰ひに、粕谷かすやの田舎まで出掛けると、蘆花氏は縁端えんばな衝立つゝたつて、大きな欠伸あくびをしい/\
粕谷かすやの夫妻が千歳村に移住いじゅうした其春、好成績こうせいせきで小学校を卒業し、阿爺は師範しはん学校がっこうにでも入れようかと云って居たのを、すすめて青山学院に入れた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
女商人をんなあきんどはかう言つて帰つて往つた。そしてそれ以来二度と原稿を貰ひに粕谷かすやの村へ出て来なくなつた。
翁は其出版を見ていささかよろこびの言をらしたが、五月初旬にはいよいよ死を決したと見えて、逗子ずしなる老父のもと粕谷かすやの其子の許へカタミの品々を送って来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)