米子よなご)” の例文
米子よなごの方面から長く延びてゐる半島の突鼻とつぱなにあつて、岡山、米子間の鐵道が全通し、築港の計畫でも完成せらるゝ曉には、朝鮮
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
日野川の上流に沿い、日ならず、出雲いずも街道は車尾村に出る。そこで一日、ご駐輦ちゅうれんの後、米子よなごから出雲の安来やすぎをすぎ、さらに船で美保みほせきまで渡られた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
米子よなご近くの淀江よどえは番傘の産地であります。海岸にそれを何百と並べて日に干す様は見ものであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
また此島は竹斯ツクシ國竹島(北史倭傳)とて我國の島にきはまりたり(草盧雜談)。ことにして伯州米子よなごの町人大谷、村川の兩氏代々名ある町人にして、子孫は今にも町年寄を勤む。
他計甚麽(竹島)雑誌 (旧字旧仮名) / 松浦武四郎(著)
私ども無教会の仲間では鳥取県米子よなごの藤沢武義君、この人は『求道』という雑誌を出していた人ですが、筆禍のため、ここ(マルコ伝一三の九)に書いてあるような目にあった。
山陰道の米子よなごで、藝者を抱へ度がつて居るのがあるから行つて見ないかといふ話で、此の方ならば何時でも先方から實物を見に來ると云ふ位乘氣なので、直ぐにも※まるに違ひ無いが
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
去年、都から父皇を慕って出雲まで来たが、会うこともかなわず、絶望のあまり米子よなごの安養寺に入って、乙女尼おとめあまになっていると、帝へも、風の便りがきこえていた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「三田さん、あたしたうとう米子よなごの方へ行く事になつてしまふたんですよ。」
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
米子よなごの一つ手前には、伯耆大山といふ名の驛もある。その時になると、高く望まれる赤い山のがけから、樹木のない谷間まで、私達の旅の心がどうその傾斜をほしいまゝに馳せ囘らうと自由だつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
大阪を出る時の旅の豫定では、三朝から米子よなごに向ひ境の港に出、あれから宍道湖しんぢこを船で渡つて松江に着くつもりであつた。私はこの豫定をいくらか變更して、一息に汽車で松江まで延びることにした。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)