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筑阿弥
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ちくあみ
ふりがな文庫
“
筑阿弥
(
ちくあみ
)” の例文
「麦飯に山の薯を、汁かけ飯にしてたべる。あれが好きでの……余りたべて連れあいの
筑阿弥
(
ちくあみ
)
どのに
穀
(
ごく
)
つぶしよと、いたく怒られたことがある」
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
筑阿弥
(
ちくあみ
)
どの、きょう御家内が見えて、こちらの息子どのを、寺へお小僧に出したいとの頼みじゃが、御同意かの」
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幼少の頃の苦い記憶があって、癖の悪い酒のみや、無理
強
(
じ
)
いされる大杯を見ると、その酒に身持のわるい養父の
筑阿弥
(
ちくあみ
)
の顔が映って見えてくるのであった。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すぐ中村の家へ帰って、母の顔を見たかったが、
義父
(
ちち
)
の
筑阿弥
(
ちくあみ
)
を思うと、わが家の垣にも、
茨
(
いばら
)
が感じられる。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そんな調子に、
筑阿弥
(
ちくあみ
)
は絶えず口ぎたなく日吉をこき使ったが、母の甘い
慾目
(
よくめ
)
ばかりでなく、実際、寺から帰って来た後の日吉は、生れ変ったようによく働いた。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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母は同じだが、秀吉の父は弥右衛門、秀長の父は、後に入夫した
筑阿弥
(
ちくあみ
)
という男である。——この筑阿弥が、幼い頃の秀吉を、いかに無慈悲に扱っていたかを、弟の秀長は、
覚
(
おぼ
)
えている。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おれは中村の近くなので、その
筑阿弥
(
ちくあみ
)
という人をよく知っているが」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“筑阿弥(竹阿弥)”の解説
竹阿弥(ちくあみ)は、戦国時代の人物。太閤豊臣秀吉(藤吉郎)の生母仲(大政所)の再婚相手で、通説では秀吉の継父、小一郎(豊臣秀長)と旭(駿河御前)の実父である。ただし後述するように通説には矛盾点がある。名前は筑阿弥とも書く。
(出典:Wikipedia)
筑
漢検準1級
部首:⽵
12画
阿
漢検準1級
部首:⾩
8画
弥
常用漢字
中学
部首:⼸
8画
“筑”で始まる語句
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