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碧梧桐
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へきごどう
ふりがな文庫
“
碧梧桐
(
へきごどう
)” の例文
その後に冬木立の
逆様
(
さかさま
)
に映った水面の絵を出したらそれは入選したが「あれはあまり
凝
(
こ
)
り過ぎてると
碧梧桐
(
へきごどう
)
が云ったよ」
明治三十二年頃
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
「蕪村句集講義」によれば
虚子
(
きよし
)
、
碧梧桐
(
へきごどう
)
両氏、近頃は又
木村架空
(
きむらかくう
)
氏も「負けまじき」を未来の意味としてゐる。
澄江堂雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
先ずそれには
碧梧桐
(
へきごどう
)
の新傾向論が
遂
(
つい
)
に俳句を無季、非定型のものにしようとしたのに初まる。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
後年俳人の
碧梧桐
(
へきごどう
)
がここを旅して、『
出羽
(
では
)
で
最上
(
もがみ
)
の
上山
(
かみのやま
)
の夜寒かな』
念珠集
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
次手
(
ついで
)
を以て前掲の諸家の
外
(
ほか
)
にも、
碧梧桐
(
へきごどう
)
、
鬼城
(
きじやう
)
、
蛇笏
(
だこつ
)
、
天郎
(
てんらう
)
、
白峯
(
はくほう
)
等の諸家の句にも恩を受けたることを
記
(
しる
)
しおかん。白峯と言ふは「ホトトギス」にやはり二三句づつ載りし人なり。
わが俳諧修業
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
赤い椿白い椿と落ちにけり
碧梧桐
(
へきごどう
)
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
“碧梧桐(
河東碧梧桐
)”の解説
河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年(明治6年)2月26日 - 1937年(昭和12年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。
正岡子規の高弟として高浜虚子と並び称され、俳句革新運動の代表的人物として知られる。
愛媛県松山市に松山藩士の五男として生まれる。父は正岡子規の漢学の師。高浜虚子とは中学時に同級であり、後に子規の門下生となるまで、行動をともにした仲の良い友人であった。
(出典:Wikipedia)
碧
漢検準1級
部首:⽯
14画
梧
漢検準1級
部首:⽊
11画
桐
漢検準1級
部首:⽊
10画
“碧梧”で始まる語句
碧梧