白猿はくえん)” の例文
家に伝わった俳名三升さんしょう白猿はくえんの外に、夜雨庵やうあん、二九亭、寿海老人と号した人で、葺屋町ふきやちょうの芝居茶屋丸屋まるや三右衛門さんえもんの子、五世団十郎の孫である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
巻末に市川白猿はくえん牛島うしじまの隠宅にて成田屋と自筆の提灯を嵐雛助あらしひなすけつかはす処、これ人のよく知る逸話なるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これはいかさま成田屋としては『しばらく』を出しても見たいだろう。文政元年十一月に親父白猿はくえんの十三回忌に碓氷うすい甚太郎定光で例の連詞つらねを述べたまま久しくお蔵になっていたのだからな。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
差別待遇がはなはだしかったため、七代目団十郎(隠居して海老蔵えびぞう白猿はくえんと号す)は
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それをあざけった「猿ならば猿にしておけ呼子鳥」と市川白猿はくえんの句がある。