)” の例文
雑誌『道楽世界』に、杵屋勝久は学者だと書いたのは、この頃の事である。三月三日に勝三郎は病のいまだえざるに東京に還った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さきにはポツジヨ我にマリアの病を告げて、その病はえぬと云へり。されど病は再發して、マリアは既に死し、家人は我に祕して、こよひそを葬るなり。
ついでにいわく、支那で野猪を画いた古い例は、『晋書しんじょ』に、とう氏の妻病篤く、医手をこまぬき尽しても及ばず、韓支ぜいして野猪を画かせ、臥室の屏風びょうぶに貼らしめてえたそうだ。
きずやし、病人を救って遣られる。その心身共に
中井は嘗て治を榛軒に請うて其病がえた。そして謝恩のために銀器数種を贈つた。榛軒は固辞して受けなかつた。中井が其故を問うた時、榛軒は云つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
病はえぬれども、聲潰れたれば、身を助くべき藝もあらず、貧しきが上に貧しき境界きやうがいに陷いり、空しく七年の月日を過して、はからずも君にめぐりあひ候ひぬ。
頭がえれば、体は皆瘥えるのです。10480
荏薇じんび問答に元旦に弟柏軒に与へた書がある。「狩谷お高快方之由大慶」の語がある。前年十一月二十八日の弟の書を得て、棭斎のぢよの病のえたことを知つたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
えなんとする心の創は復たほころびて、却りてわれに限なき苦痛を感ぜしむるなるべし。
蘭軒はかくの如く忽ち病み忽ちゆるを常としてゐたが、その病める間も大抵学業を廃せず往々公事をも執行してゐた。次年以下の勤向覚書を検すれば、此間の消息を知ることが出来る。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)